2010/12/19

十二月大歌舞伎

先日、十二月大歌舞伎を観て参りました。

今月の歌舞伎は日生劇場。
新しい歌舞伎座ができるまでは、基本的には新橋演舞場で歌舞伎を上演するという話でしたが、演舞場の都合が悪いと、こうしてあちこちの劇場にたらい回しされるという、身寄りのない子が親戚の家をあちこち行っては軒を借りるみたいで、少し寂しい気になります。

さて、今月は『摂州合邦辻』の通し。
五月の團菊祭で菊之助が主役の玉手御前を演じ、非常に評判がよかったと聞き、是非観たいと思っていた演目です。

河内の大名の後妻の玉手御前は、前妻の子で世継ぎの俊徳丸に恋していて、その思いを打ち明けるのですが、許婚のいる俊徳丸はその申し出をきっぱり断ります。しかし、俊徳丸は原因不明の病にかかり、家督を兄に譲ると言い残し、玉手から逃げるように出奔。玉手御前はまわりの意見も聞かず、俊徳丸のあとを追い、父・合邦道心の屋敷で俊徳丸と再会するが…というお話です。


要は、道ならぬ恋に何もかも捨て、誰の言葉にも耳を貸さず、相手に婚約者がいるのもかまわず、好きな男を我がものにしようと、激しく恋の焔を燃え上がらせる女の話なのです。病身の夫を気にすることもなく、玉手の暴走を止めようとする羽曳野と激しくやりあい、俊徳丸の許婚の浅香姫にも手を上げようとする。ここまでくると、最早ストーカーです。その恋の狂女を菊之助が熱演しています。真に迫る素晴らしい演技で、見ていてゾクゾクしました。我が身を捨て、恋に燃え、嫉妬に狂い、そんな女性の激情を菊之助があの年で演じられるというのはすごいと思います。

『摂州合邦辻』は普段は大詰にあたる「合邦庵室の場」だけが上演されますが、今回は通しということで、序幕で玉手御前が俊徳丸に愛を告白するところから観ることができます。「合邦庵室の場」では、俊徳丸への数々行為には実は“ある理由”があったと告白をするわけですが、「合邦庵」の一幕だけを観ていれば、確かに玉手の告白に納得し、彼女の忠義心を讃え、ああそうだったんだ感動のまま終わることもできると思います。しかし、序幕から通しで観ると、それまで恋に狂う玉手の姿を目にしているので、そう安々とは玉手の“告白”を信じるわけにもいかず、「そんな言い訳なんかして」とも思ってしまいます。確かに、玉手を恋に狂う女として描く方法と、忠義に厚い女性として描く方法と二通りの演出があるそうですが、菊之助の演技があまりにリアルだったので、玉手の言葉にも重みというか、説得力が出ていて、「果たして本当か?」と思えてしまい、最後は訳も分からぬまま、非常に複雑で、ミステリアスで、ドラマチックな狂言を観たような思いにさせられました。

玉手御前は女形でも難役の一つで、普通は、40代や50代になって演じるような大役。そんな大役を30代前半で、これだけ見事に演じてしまった菊之助ですが、彼が40代になったとき、50代になったとき、これからどんな玉手御前になっていくか、非常に期待を持たせる、そんな芝居でした。

2010/11/27

吉例顔見世大歌舞伎・昼の部

引き続き昼の部。

今月の昼は『天衣紛上野初花(くもにまごううえののはつはな)』の通し狂言です。

通常は悪漢坊主・河内山宗俊を主役にした『天衣紛上野初花 河内山』と、御家人くずれの片岡直次郎を主役にした『雪暮夜入谷畦道』として別々に上演されることの多い狂言ですが、今回は通しでの上演。

通しの場合は『河内山と直侍』と通称で呼ばれ、5年前にも国立劇場で上演されていますが、序幕の「湯島天神境内の場」から大詰めの「池の端河内山妾宅の場」まで全てを通しで上演するのは昭和60年以来! 通しといってもここまでの通しはなかなかお目にかかれないようです。

実は、昨年、歌舞伎座で『河内山』の「松江邸広間より玄関先まで」を観ていて、その前にも同じ幕をテレビで観ていますが、個人的にはちょっと退屈な部類に入る出し物でした。しかも今回は自分の苦手とする幸四郎。菊五郎と時蔵の直侍と三千歳見たさにチケットを取ったものの、一抹の不安を抱えながら、新橋演舞場へ向かいました。

一幕でかかる『河内山』は、出雲守・松江侯のもとで奉公している上州屋の一人娘・浪路が松江侯から妾になるよう迫られ、家に返してもらえないと知った江戸城のお数寄屋坊主(茶坊主)・河内山が、上野寛永寺の使僧と偽って松江屋敷に乗り込み、娘を取り返すというストーリー。今回は通しということで、その前後も語られるというわけです。

前の場面では、金の無心に質屋・上州屋を訪れた河内山が浪路の話を聞き、礼金200両と引き換えに娘を連れ戻すことを請け負います。次の幕で直次郎と恋仲の花魁・三千歳の挿話があって、その次が「松江邸」。そしてあとの場面では再び直次郎と三千歳の逢瀬が描かれ、そして最後の大詰を迎えます。やはり前後の幕があると、話の筋が全て繋がっていくので、まず背景が頭に入ってくるし、登場人物の役柄や人間関係も良く理解できて、とても分かりやすかったと思います。前回退屈でしょうがなかった「松江邸」も今回は非常に面白く感じました。

楽しみだった菊五郎と時蔵の直侍と三千歳も、やはり持ち役だけあり、観ていて安心。思ったとおり素晴らしかったです。「松江邸」では、松江出雲守の錦之助が出色で、独裁的で我がままな嫌な殿様を巧く演じていて、非常に良かったと思います。“ああいう殿様だから”というのが頭にあるので、まわりの彦三郎、錦吾、高麗蔵、そして梅枝も役が生きてきて、また河内山の登場も悪でありながらもヒーロー的な雰囲気が出て、リアルな「松江邸」になった気がします。上州屋の後家おまきの秀太郎や蕎麦屋での按摩丈賀の田之助、蕎麦屋の徳松といった周りの役者も傑作で、当初の不安や予想に反して(?)、非常に満足度の高い今月の歌舞伎でした。

2010/11/26

やけたトタン屋根の上の猫

昨日、新国立劇場でテネシー・ウィリアムズの『やけたトタン屋根の上の猫』を観てきました。

テネシー・ウィリアムズというと、一般ウケする『ガラスの動物園』や文学座のレパートリーとしても有名な『欲望という名の電車』は比較的上演されますが、なぜか『やけたトタン屋根の上の猫』は滅多に上演される機会がなく、今回とても楽しみにしてました。しかも主役がベルリン映画祭で主演女優賞を受賞したばかりの寺島しのぶというホットなキャスティング。チケットもものの数分で完売という人気ぶりでした。

で、お芝居はどうだったかというと、とてもいいんです、とてもいいんですけど、「だけど」がつくというか。期待の寺島しのぶのマーガレット(マギー)が、ちょっと僕のイメージするマギーと違うというか……。

第一幕は寺島しのぶの独壇場で、膨大な台詞を喋るんですが、テンションばかり高くて、もう少し繊細さが欲しかったな、と。 たぶん演出からして、そういうアプローチだったのでしょう。「こんな喜劇的な話だったけ」と思わせるところもしばしば。義姉との応酬は最早コメディでした。<“触らぬもの”状態のゲイの夫から愛を取り戻そうともがく妻>という本来のマーガレットの設定がよく見えないというか、逆に<義父の遺産を得ようと必死で、傷ついたゲイの夫に無神経な妻>という感じに僕には映ってしまいました。マギーの安易な行動が夫の“親友”スキッパーの破滅のきっかけとなり、それが結局は夫婦の不和の原因となり、二人の間に影を落としてるのに、それが感じられなかったのが残念でした。

映画版の『熱いトタン屋根の猫』はプロダクション・コードがあって、オリジナルにあるゲイ的な要素は直接的に描かれていませんが、マギーのアプローチは原作に近いと自分は思っているのです。映画版を観たテネシー・ウィリアムズは激怒した言われていますが、エリザベス・テイラーといい、ポール・ニューマンといい、戯曲の持つ雰囲気が出ていて、あれはあれで成功していると思います。寺島しのぶには、あのエリザベス・テイラーのような魅力が欠けてたような気がします。

ポール・ニューマンが映画で演じたブリックは北村有起哉が演じています。もう少し失望感とか無力感が出ていても良かったかなとも思いましたが、第二幕の父親との“会話”なんて、息もつけない程のものすごい緊張感。T・ウィリアムズ的な絶望の世界を体現していて素晴らしかったです。ブリックの母親役で銀粉蝶が出てて、彼女が台詞を話しだすと、寺島しのぶの影が薄くなるほど存在感があって、さすが舞台女優は違うなと感心しました。

と、偉そうなこと書いてますが、やっぱりテネシー・ウィリアムズはいい。こういう世界、好きだなぁとあらためて思いました(笑)。ただ、あまりに彼は絶望の淵をあからさまに描くので、そうしたものに慣れてない人は直視できないというか、いたたまれない気分になるのだと思います。ブリックと父親がお互いの心の叫びをぶつけ合うシーンなんて、それを直視しなければならない観客は逃げ場さえなくて、どう見ても落ち着かない様子でした。それがテネシー・ウィリアムズの作品がなかなか上演されない理由なのかなとも少し思いました。

2010/11/16

吉例顔見世大歌舞伎・夜の部

今月の新橋演舞場は“顔見世”と銘打つ割には、あまり役者が揃っておらず、また演目も少々地味なんですが、珍しく自分は昼の部も夜の部も観に行くことになりました。

さて、まずは夜の部、『ひらかな盛衰記』(逆櫓)。
義経が木曽義仲を討伐する話を背景とした歌舞伎を代表する義太夫狂言の一つです。船頭松右衛門に幸四郎、その義父・権四郎に段四郎、お筆に魁春、およしに高麗蔵と、華はないものの手堅い役者でまとめられた印象。幸四郎は(いつものことですが)自分に酔ったようなモゴモゴした台詞回しで聴きづらいのが難点ですが、周りの役者も手伝って、芝居は満足のいく内容でした。ただ、第二場の立ち廻りが、幸四郎の動きが鈍く、迫力に欠けるというか、精彩がないというか、なんだか間延びしてしまい、全然緊迫感のないものになってしまったのがとても残念。まぁ、年齢のことを考えるとしょうがないのかもしれません。ただ、ダレた感じも、最後の天王寺屋の登場で一気に引き締まったのはお見事。幸四郎より一回りも年上の富十郎のあの元気はすごいものです。

続いては20分ぐらいの短い舞踊で『梅の栄』。
前半は、種太郎、種之助、米吉、右近という次世代を担う御曹司たちが踊り、後半は芝翫と孫の宜生が登場するという趣向です。若い4人は、種太郎を除いてはみんなまだ10代で、年長の種太郎と舞台経験の多い右近は見れたものの、他は顔見世の舞台で踊らせるのはどうかと思うような内容。芝翫も、さよなら公演で孫と踊っただろうにまたかという感じ。去年の『雪傾城』で成駒屋の孫の中ではまだ筋の良かった宜生に今回白羽の矢が立ったのがまだ救いでしたが(とはいえ、まだ9歳…)、こういうのは大歌舞伎ではなく、成駒屋の発表会や俳優協会のイベントのようなところでやってもらいたい。ファンとしては、芝翫ならではの舞踊が見たいものだし、余程『逆櫓』や昼の『河内山』でもいいから狂言の方に出て欲しかった気がします。

最後は、菊五郎劇団による今月の眼目『都鳥廓白浪』(忍ぶの惣太)。
京の吉田家でお家騒動が起こり、嫡子松若丸は行方知れず。弟・梅若丸は江戸まで逃げ延びますが、目の不自由な忍ぶの惣太に誤って殺されてしまいます。忍ぶの惣太は実は吉田家の家臣で、家宝・都鳥の印を手に入れるものの、今度は傾城花子に中身をすり替えられてしまい、その花子は盗賊・霧太郎の仮の姿で実は松若丸だったという「実は…実は…」のオンパレードな河竹黙阿弥の白浪物です。

自分にとって、歌舞伎座さよなら公演以来の菊五郎・菊之助・時蔵とあって、非常に楽しみにしていました。誰々が実は何々でという芝居は歌舞伎には多くありますが、『忍ぶの惣太』はそういう登場人物がかなりいて、しかも展開が結構スピーディーなので、付いていくのもちょっと大変でしたが、見せ場も多く、申し訳ないけど『逆櫓』と違って役者に華があって、存分に楽しめました。また、萬次郎や團蔵、そして歌六と脇を締める役者も申し分なし。丑市の内縁の妻役の芝喜松が好演していて、同じく女に現を抜かす夫を持つお梶の時蔵が淡白な演技でちょっと物足らなかったのに比べ、芝喜松はこってりと芸達者なところをみせ笑わせてくれました。最後の“おまんまの立廻り”も、花子初役の菊之助が力を入れているだけあり、見どころ十分。菊五郎が霧太郎のちょっと間の抜けた手下・峰蔵として登場するのですが、菊五郎らしい可笑しみたっぷりで、最後の最後まで飽きさせませんでした。

昼の部の感想はまた後日。

2010/11/10

東大寺大仏―天平の至宝―

先日、東京国立博物館で開催中の『東大寺大仏展』に行ってきました。

といっても、大仏様は来ておりません。当たり前ですが。

それでもなんで、“大仏展”か? まぁ、ちょっと誇大広告的なタイトルという感じもなきにしもあらずですが、要は“大仏造立にかかわる作品を通して、「奈良の大仏」の寺として、現代に至る まで広く信仰を集め、日本文化に多大な影響を与えてきた東大寺の歴史”を辿るものなのだそうです。それならただの“東大寺展”でも良かったような気もする のですが、“大仏”はこだわりなんでしょうね…。

それでも、会場内には、東大寺の大仏殿の前にデーンと置いてある高さ約4.6メートルの「八角燈籠」(国宝)が持ち運ばれていたり、バーチャルリアリティで盧舎那仏(大仏)が再現されていたり、国宝・重文クラスの大変貴 重な仏像や宝物などが展示されていたりと、さすが“東大寺”という力の入れようでした。

「八角燈籠」(国宝)

個人的にとても観たかったのが、国宝の「誕生釈迦仏立像」。お釈迦様の誕生日である灌仏会のときに、この仏さまの頭から甘茶をかけるのだそうです(現在はレプリカを使っているようですが)。下の丸いお椀はその受け皿になっています。こうした誕生仏に甘茶をかける儀式は昔からあって、誕生仏もいくつも現存しているようですが、東大寺のこの「誕生釈迦仏立像」はそうしたものの中で一番大きいのだとか。

「誕生釈迦仏立像」(国宝)

11/2~11/21までは、東大寺にある正倉院の貴重な宝物も展示されています。先日、約1250年間も行方が分からなかった正倉院宝物の幻の大刀が、 実は明治時代に大仏様の足元から発見されていた国宝の大刀だったということが分かり、ニュースで話題になっていましたが、それと同様に大仏様の足元から見 つかった数々の宝物も展示されています。残念ながら、話題の「金銀荘大刀」は展示されていませんでしたが、別の「金銀荘大刀」が展示されており、その大刀 もこれから調査を行うのだとか。また近々新たな発見があるかもしれません。

当然、正倉院の宝物が期間限定展示があるということは、入れ替えになる作品もあるということで、「菩薩半跏像」(重要文化財)や「花鳥彩絵油色箱」(国宝)などが一時お休み中。これらの作品は、11/23からまた展示されるのだそうです。

「伎楽面 酔胡従」(重要文化財)

基本的には年代順に展示されていて、東大寺の創建に始まり、大仏の造立、そして天平の文化を紹介して、鎌倉時代以降の復興にスポットを当てています。鎌倉 時代以降のコーナーには仏像も多く展示されていて、平家による焼き打ちから東大寺を再興させた重源上人の坐像や快慶作の「阿弥陀如来立像」(重要文化財)など素晴らしい作品も多くあります。

「重源上人坐像(部分)」(国宝)

会場の最後のコーナーには、先日三井記念美術館で鑑賞したばかりの「五劫思惟阿弥陀如来坐像」もいらっしゃってました。やっぱりファンキー (笑)


光明皇后1250年御遠忌記念
特別展「東大寺大仏―天平の至宝―」
東京国立博物館にて
12/12(日)まで
http://todaiji2010.jp/

2010/10/30

錦秋十月大歌舞伎

先日、新橋演舞場で「十月大歌舞伎」を観てまいりました。今月は夜の部です。

まずは『盛綱陣屋』。

それぞれの主人が敵味方に分かれたため、戦わざるを得なくなった佐々木盛綱・高綱兄弟の悲劇を描いた義太夫狂言です。舞台は源頼家と北條時政が争った鎌倉時代に設定されてますが、もとは豊臣と徳川が争った大阪冬の陣を題材にしていて、モデルは真田兄弟なのだとか。

冒頭、盛綱(仁左衛門)の子が高綱の子・小四郎を捕らえ手柄をあげるのですが、そこに頼家方から和田兵衛秀盛(團十郎)が小四郎を返せとやってきます。盛綱は自分の判断では返せないと伝えると、和田兵衛は時政に直談判するため屋敷をあとにします。盛綱は悩んだ挙句、小四郎に切腹するよう説得してほしいと母(小四郎にとっては祖母)に頼みます。当初、高綱が時政方に寝返るよう小四郎を生かしておこうと考えていたのですが、子への情愛で寝返るのは武将としては恥であり、高綱の名誉、そして家の名誉のためにも小四郎は切腹させるべきと考えたのです。なんで幼子を切腹させなければならないのか、今の世の常識では想像もできないことですが、武士の世の中とはかくあるものだったのでしょう。仁左衛門が母・微妙(秀太郎)に語る一言一言の言葉の重さが胸に迫ります。夜が更けると、小四郎の母・篝火(魁春)が心配のあまり、盛綱の屋敷を覗きに来ます。微妙は小四郎に父のためにと切腹を迫りますが、小四郎は頑なに拒否。そこに高綱、討ち死にの知らせがやってきます…。

実は討ち死にしたのは高綱の影武者で、小四郎が盛綱に捕えられて切腹をするのも、和田兵衛が盛綱を訪れるのも、全て高綱の計略という、非常に巧妙なトリックが『盛綱陣屋』には隠されています。なるほどそういうことだったのか、と最後に明らかになるのですが、親子の情、兄弟の情、武士の情けを描きながら、戦国の世の厳しさ、酷さがしっかりと語られていました。仁左衛門の丁寧な演技、そして秀太郎や魁春、孝太郎、團十郎といった確かな芝居があったからこそ、ここまで見応えある舞台に仕上がったのだと思います。

重厚な時代物につづいては、ホッと息のつける『どんつく』。
『どんつく』は本名題を「神楽諷雲井曲毬(かぐらうたくもいのきょくまり)」といって、その名にあるように太神楽という曲芸師が主役の舞踊もの。今月の一座が総出演で、それぞれに見事な曲芸や軽妙な踊りを見せるという賑やかで楽しい狂言でした。当代三津五郎と巳之助の親子の息の合った舞踊の巧さとひょうきんな味わいと、團十郎のおおらかで飄々とした江戸の粋が劇場を沸かせていました。

最後は、義太夫狂言で『艶容女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ)』。通称『酒屋』。
酒屋のダメ息子・半七はお園という妻のいる身でありながら、外に子を作り、お園は実家に連れ戻されるのですが、一度は嫁にやった娘だからとお園は父に連れられ再び酒屋にやってきます。そこで次々驚くような事実が明らかにされるのですが、舞台の半分近くがみんなで泣き崩れているような重いお話で、最後に見るには正直ちょっとしんどかった。ただ、お園と半七を一人二役で演じた福助は神妙な面持ちで芝居をしていてとても感心したし、途中の“くどき”もお園の心情が細かな仕草に表現され、とても良かったと思います。大阪が舞台の話ということでか、福助以外は関西の役者さんというのも、それらしさを出していたのかもしれません。ただ、『どんつく』のあと帰ってしまったお客さんも多く、空席もちらほら。内容も暗いお話だし、『どんつく』の前にやればよかったのにと、ちょっとそんな気もしました。

2010/10/21

円山応挙 - 空間の創造

三井記念美術館で開催中の『円山応挙 - 空間の創造』展に行ってきました。

円山応挙の展覧会って、都内では4年ぐらい前の江戸東京博物館以来じゃないかと思うんですが、自分は4年前の展覧会には行けずじまいでしたので、応挙オンリーの展覧会というのは今回初めて。それだけにちょっと楽しみにしていました。

展覧会のサブタイトルに『空間の創造』とあるように、応挙は平面的な絵画の世界に“奥行きのある立体的な世界”を描き出し、“空間の画家”と呼ばれているのだそうです。恥ずかしながら、普段、応挙の絵を見ていて、奥行きや立体感といったところに感じ入ったり、注目したことがなかったのですが、入ってすぐの展示コーナーで“空間の画家”としての応挙をまずは実感します。

応挙は若いころ、西洋の遠近法の手法で描いた風景画で、“覗きからくり箱”で覗くと立体的に見える“眼鏡絵”という絵を多く描いていました。最初のコーナーには、その“眼鏡絵”が展示されています。“覗きからくり箱”はありませんでしたので、実際にはどんな風に見えたかは分かりませんが、確かに江戸時代の日本画には見られない遠近法で描かれた奥行きの感のある絵に、後年の応挙の掛け軸や屏風絵などと異なる様に戸惑いつつも、応挙はこういう絵を描くことで腕を磨いていたんだなと、その努力と熱心さに深く感心します。

「眼鏡絵(三十三間堂・通し矢)」
※展示は11/7まで

三井記念美術館は、入り口すぐの展示スペースが「展示室1」で、通路のような細い展示室を抜けると、広めの「展示室4」があって、また通路のような展示室や小間のような展示室の先に、最後の「展示室7」があるのですが、今回の展覧会はその「展示室4」と「展示室7」に、屏風絵や襖絵といった大型の絵が展示され、そのほかの展示室には掛け軸や絵巻など小ぶりの作品が展示されています。

まず「展示室4」で目を引くのは「雲龍図屏風」で、六曲一双の大きな屏風に二頭の荒れ狂う龍が堂々と描かれています。ほかの屏風絵がどちらかというと“静”を表現している中、他を圧倒する存在感があります。

「雲龍図屏風」(重要文化財)
※展示は11/7まで

最近、琳派とか若冲とか、少し濃い目の日本画を観る機会が多かったので、こうしてじっくり観る応挙はちょっと淡白に思えて自分でもビックリ。しかし、「雪梅図襖」や「竹雀図屏風」などをジーっと観ていると、日本画の祖ともいわれる雪舟以来、綿々と受け継がれてきた日本画の伝統を確実に身につけ、しかも研究熱心であった応挙の丁寧かつ生真面目な表現の世界に心を打たれます。(「展示室4」は展示替えがあります)

「雪梅図襖(部分)」(重要文化財)
※展示は11/7まで

最後の「展示室7」は広い空間をたっぷり使い、三井記念美術館所蔵の国宝「雪松図屏風」と、大乗寺の「松に孔雀図襖」が展示されています。

大乗寺は兵庫県の山陰側にあるお寺で、応挙一門が障壁画を描いた寺として知られています。今回はその大乗寺から重要文化財の貴重な襖絵が貸し出されています。応挙というと必ず引き合いに出される大乗寺の障壁画ですが、これを実際のお寺の中で観たら、どれだけ感動するだろうと考えるだけで、ちょっと身震いします。

「松に孔雀図襖」(部分)

応挙のパトロンが三井家だったという関係で、三井家には数多くの応挙の作品があったとされています。応挙の傑作中の傑作として名高いこの「雪松図屏風」も三井家からの依頼により製作されたものだそうで、金地に墨絵の松と真っ白な雪が印象的な見事な屏風絵です。数ある応挙の作品の中で唯一の国宝ですが、それも十分うなづけます。

「雪松図屏風」(国宝)

「雪松図屏風」と「松に孔雀図襖」は展示替えなく、最後まで展示されます。


【円山応挙 - 空間の創造】

三井記念美術館にて
11/28(日)まで

2010/10/13

ヘッダ・ガーブレル

先日、新国立劇場で大地真央主演の舞台『ヘッダ・ガーブレル』を観てきました。

別に大地真央のファンなんかじゃないんですよ。
宝塚だって一度も観たことないし、何を隠そう、ミュージカルって嫌いなんです。

この『ヘッダ・ガーブレル』というお芝居、高校のとき読んでハマった大好きな戯曲。一度ナマの舞台で観たいなとか思っていて、去年、小沢真珠主演の舞台というのもあったんですが、ちょっと自分の思い描くイメージではなくてパスしたところ、今回、大地真央が主演ということで飛びつきました。

主人公のヘッダという女性、まぁ、ほんとに身勝手で嫌なオンナ。いいとこのお嬢さんで、美人で、ちやほやされて自由奔放に育ったから、プライドだけは高いし、男の扱いも心得てるし。そんなお嬢さんが、格下の学者と結婚して、男はヘッダに不自由な思いをさせてはいけないと、親戚に借金までして、長々と新婚旅行に行って、お城みたいな屋敷まで買って、家具も揃えて。でも、ヘッダは退屈だとか何だとか不満たらたら。

こんな高慢ちきで狡猾な女を、さあ誰が演じるか。
ヘッダ役は難役として有名で、海外でもイザベル・ユベールとかイングリッド・バーグマンとか、ケイト・ブランシェットとかケリー・マクギリスとか、それなりの演技派女優が過去に舞台で演じてきてます。

大地真央って、とても冷たそうで、気位が高くて、普段の彼女から浮かぶイメージにはそんな印象すらあるのに、演じる役はオードリー・ヘップバーンみたいな役だったり、頭の切れるスマートな女性とか、そんなのばっかり。今回よくもまぁ、こんな役を引き受けたなと思うんですが、彼女もミュージカルとかお姫様みたいな役ばかりじゃいけないと思っていたんでしょうかね。

でも、そんな大地真央、劇評がとてもよくて、実際、抑えた演技の中にも気迫がこもって、とても良かったです。第一幕の最後なんて、目に涙を湛えながらの熱演でビックリしました。いくつか劇評を読むと、大地真央の迫真の演技の割りに、まわりの共演者が今ひとつみたいな声もあったんですが、自分が観に行った日はちょうど楽日ということもあって、みなさん熱が入っていて、とても良かったと思います。 今後、大地真央がどんな舞台に挑戦するか、ちょっと楽しみになりました。

2010/10/11

上村松園展

先日、東京国立近代美術館で開催中の『上村松園展』を観てきました。

松園の絵は割と観る機会がありますし、昨年も日本橋高島屋で『上村松園・松篁・淳之 三代展』を観ていますが、全期間で代表作約100点が揃うという展覧会は過去最大なのだそうで、これは見逃す手はありません。

上村松園は、ご存知のように明治・大正・昭和と活躍した美人画の大家。当時の絵師・画家はほとんど男性ですが、その男尊女卑激しい旧態依然とした画壇で孤軍奮闘し、日本画の中の美人画にこだわり続け、地位を確立していきます。美人画で評価の高い同時代の日本画家に鏑木清方や少しあとには伊藤深水などがいますが、男性の描く美人画が男性の理想や夢といった、ある種“グッとくる”仕草や表情、艶かしさなどリアル感が少なからずあるのに対し、松園の描く美人画は女性の清廉さ、優しさといった内面の美しさが描かれているように思います。そのあたりが、松園の絵が圧倒的に女性に人気がある由縁かもしれません。

「牡丹雪」

展示会場は、鈴木松年や幸野楳嶺に師事を受けていた初期の作品から、絶筆の作品まで、時折りスケッチ画も交えながら、基本的に年代順に展示されています。

「人生の花」

わずか15歳のとき、内国勧業博覧会に出品した絵が一等褒状を受賞し、しかも英国王室が買い上げたというように、10代の頃に描いた美人画は既に完成に域に達していたことにまず驚かされます。今で言えば中学生ぐらいの小娘が、しかもまだ師匠につき手ほどきを受けているような少女が、いわばデビュー作でいきなり名誉ある賞と評価を受けたわけですから、周りからの僻みややっかみは相当なものだったと想像できます。母親や師匠らの支えがあったとしても、その中で日本画家として歩み始めた松園は、なかなか“女だてら”の強者だったのでしょう。明治期の古い因習の残る時代に、今で言うシングルマザーとして子どもを育てたことからも彼女の意志の強さが分かります。

「舞仕度」

松園の美人画は、人形のように美しく、凛として、純粋で、かわいいものばかり。女性から見た理想の女性像なのかもしれませんが、それは一方で表現に乏しく、画一的で、退屈でもあります。松園の10代、20代の美人画は、どちらかというと表情や仕草の美しさが前に出て、それだけで終わってしまっているようなところがありました。しかし、年を重ねるごとに絵の中に物語が生まれ、美しさプラスアルファのものが現れてきたように感じます。

「人形つかい」

そんな松園も40歳前後の頃、画題の挑戦、迷い、そしてスランプに陥った時期があったようで、松園の作品で最も知られる「花がたみ」「焔」「序の舞」はちょうどその時代に描かれています。

「花がたみ」

「焔」

「序の舞」

松園は女性の悲哀や情緒といったより内面の部分を描きこみたいと考え、そこで慣れ親しんだ謡曲や古典に画題を求めるようになります。「花がたみ」はそんな挑戦により生まれた一つの傑作でした。やがてその挑戦は「焔」へと結びつきます。「焔」について「このような凄艶な絵を描いたか私自身も不思議に思った」と松園が語っているとおり、この絵は松園唯一の“凄艶な絵”となります。そして、もがき苦しんだ末の到達点として、「序の舞」が生まれます。「優美なうちにも毅然として犯しがたい女性の気品を描いた」という「序の舞」は、松園が最も気に入っていた作品だといわれます。

「母子」

終生、美人画だけを描き続けた松園。継続は力なりといいますが、これまで徹底した“継続”を見ると、彼女のこの“力”の源は何なのか、何がここまで徹底して“美”を追い求めさせたのか、結婚もせず、子育てもせず、家事もせず、画業だけに専念し続けたそのこだわりの真髄に興味が湧いてきます。松園の絵の素晴らしさももちろんですが、すごい女性がいたものだなとあらためて感じさせられた展覧会でした。


【上村松園展】
東京国立近代美術館にて
10/17(日)まで

もっと知りたい上村松園―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)もっと知りたい上村松園―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)

2010/10/09

ゴッホ展

国立新美術館で開催中の『ゴッホ展』に行ってきました。

初日がちょうど金曜日で、夜間延長で8時まで開館だったので、 幸い仕事も早めに終わりそうだったし、土日は混むだろうしと思い、早速拝見してきました。会期後半になると、夜間延長とはいえ混雑するのでしょうが、やはり初日ということもあってか、一枚一枚、絵の真ん前でゆっくり堪能できるぐらいの空き具合でした。

今回の『ゴッホ 展』は生誕120年記念ということで、オランダの国立ファン・ゴッホ美術館とクレラー・ミュラー美術館から貸与された絵画を中心に、ゴッホの油絵35点、 素描等約30点のほかに、ゴッホが影響を受けたミレーやクールベ、モンティセリから、シスレーやスーラ、ゴーギャン、そして浮世絵まで、同時代の画家の作品約60点が展示されています。数字から察すると、半分がゴッホ以外の作品、ゴッホの作品も半分が素描などで、ゴッホの油絵は展示作品の約1/4。正直、 「あれ?」という感じですが、タイトルに「こうしてわたしはゴッホになった」とあるように、ゴッホの画風が確立していく過程を見る上では、よい構成なんではないかと思いました。

「アイリス」

今回の『ゴッホ展』に出品されている作品は、かれこれ5年前に同じファン・ゴッホ美術館とクレラー=ミュラー美術館から作品を借りて東京国立近代美術館で開催された『ゴッホ展』と作品が被らないようにしているのか、代表作の「夜のカフェテラス」や「黄色い家」も来てませんし、「種まく人」も別バージョンが来ています。それでも、「灰色のフェルト帽の自画像」や「アイリス」、それにオリジナルの「アルルの寝室」(先日の『オルセー美術館展』のものとは別のもの)といった重要な作品が来日しています。(個人的には「カラスのいる麦畑」 が観たかったのですが…)

会場に入るとすぐに、ゴッホの初期の油絵と最晩年の油絵が並べて展示されています。その製作年の差は僅か6年。6年の間にこんなに画風が変わったんですよという前置きをして、ゴッホ展がスタートします。

「秋のポプラ並木」

基本的に年代順にゴッホの絵画が並べられ、ちらちら同時代の画家の参考絵画が並べられているという構成なので、前半はいわゆるゴッホの独特な画風の絵というのではなく、バルビゾン派やオランダのハーグ派に影響を受けた自然主義的な油絵や素描が続きます。特にバルビゾン派の代表的な画家ミレーの農民の風俗を描くというポリシーに強く影響されていたようで、農民の姿を描いたものや、またミレーの絵の模写なども展示されています。特にミレーの代表作「種まく人」にはこだわっていたようで、ゴッホが何度もこの絵に取り組んでいたのはご存知のとおりです。

「種まく人」

1886年にゴッホはパリに移り住むのですが、パリで出会った印象派の明るい色調、浮世絵の大胆な構図、そして芸術家たちとの交流は、彼に決定的なものを与えたようです。それまでのどちらかというと地味な色使いから劇的に色調が明るくなり、何の変哲もなかった構図が特色を帯びていくのが、目にも明らかになっていきます。特に、1887年の油絵を眺めていると、その前年と1887年以降の絵画の大きな変化に驚かされます。

「ゴーギャンの椅子」

後半のコーナーでは、ゴーギャンとの淡い蜜月にスポットを当て、ゴーギャンに触発された描いたといわれる絵やゴーギャンの作品の展示、また“アルルの部屋”が会場内のコーナーに再現されていたりもします。この頃のゴッホの絵には、毎日が前向きで、絵を描くことが楽しくてしょうがないんだろうなという希望を感じさせます。

「アルルの寝室」

やがて“耳切り事件”があり、その後しばらく療養所での生活を余儀なくされますが、この頃になると、絵に対するゴッホの思いが少し変化を見せていくのが絵からも伝わってきます。決して勢いのない絵ではないのに、明るくない絵ではないのに、なぜか溢れんばかりの情熱というか、輝きというか、それらが“耳切り事件”の前と後では違ってきます。最後のコーナーは、そんな最晩年の絵が並べられています。

「サン=レミの療養院の庭」

今回のゴッホ展は、ゴッホが絵画に無心に情熱を傾けた過程、パリで印象派と出会い、ゴッホの画風が一気に花開いた過程、そしてゴーギャンとの共同生活の末、不安定な精神状態の中でさらなる探求を続けていく過程、それぞれの転機にスポットが当たられているように感じました。「こうしてゴッホになった」という視点は、図らずも彼が破綻していくプロセスもクローズアップしたのです。ゴッホを語る上で避けることはできないことですが、そのことがただ単にゴッホの絵を並べ展示する展覧会とは少し異なる後味を残したように感じました。


【没後120年 ゴッホ展】
国立新美術館にて
12/20(月)まで

もっと知りたいゴッホ―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)もっと知りたいゴッホ―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)

2010/09/26

田中一村 新たなる全貌

先日、千葉市美術館で開催中の『田中一村 新たなる全貌』展に行ってきました。

わたし、あまり詳しく知らないんです、田中一村って。
奄美大島で絵を描いていて、日本のゴーギャンといわれたという程度の知識ともいえない情報だけ。6月に伊藤若冲展を観に千葉市美術館に行ったとき、次の開催予定に田中一村という名前を見て、たまたま本屋に並んでいた“もっと知りたいシリーズ”の『田中一村』を眺めて、遅ればせながらようやく興味を覚えたという程度です。はい、その程度です。

田中一村という方は、もう30年以上も前にお亡くなりになられたんですが、生前は脚光も浴びることもなく、当然、絵で生計を立てられず、奄美で紬染色工として働きながら、絵を描き続けていたらしいのですが、没後テレビの美術番組で紹介されたことで大きな反響を呼び、一気に名前が知れわたったそうなのです。だからなのか、最近の美術展というと割と若い方が多いのですが、今回の展覧会は年齢層が比較的高かったのが印象的でした。

「不喰芋と蘇鐵」

一村はもともとは栃木の生まれで、父親は彫刻家。恐らく、その父からの手ほどきも受けていたのでしょう、幼くして絵に優れた才能を見せ、7歳で大きな児童絵画の賞を受賞しています。その後、東京に出て、東京美術学校(今の芸大)に入学したものの、すぐに退学し、その後は千葉に居を構え、ほぼ独学で日本画の道を極めていきます。当初は、南画に大きな影響を受けていたようですが、その後、花鳥画を中心に描き、やがて独創的な画風を築き上げます。大正・昭和前期の美術界といえば、著名な画家に師事するとか、どこかの画壇に入るとかして、腕と名を上げていくのが一番多いパターンだと思うのですが、一村という人はそういう主流には交じらず(というより交じれなかった?)、そのためか高い評価を得ることもなく、孤高の画家として生きていきます。

「白い花」

一村の絵には、ほとんど人の姿がありません(生活の糧として肖像画を描いていたことはありますが)。花鳥画を描くことが多かったのもあるのでしょうが、風景画にしても、屋敷があって、畑があって、人が居てもいそうな絵にも人の気配がしません。だけど、不思議と物悲しさや、寂しさは感じません。夏の青空の絵であっても、蝉の鳴き声が一瞬途絶えたような、秋の様子を描いた絵でも、虫の音が鳴き止んだ瞬間のような、そんな刹那を切り取ったというんでしょうか、シーンと静まり返った静謐さが絵から伝わってきます。

「秋晴」

若い頃の作品は、日本画、特に南画の影響の濃い作品が多く、10代で描いたとはとても思えないような素晴らしい作品もあるのですが、時代と共に一村の画風も徐々に変わり、後年奄美に移り住む頃には日本画とも西洋画とも言えない独特のタッチに行き着きます。彼の絵は基本的に絹絵(絹本着色)ですが、日本画とも異質だし、かといって油絵や水彩画とも違う、独特の質感があり、それがまた魅力です。長年住み慣れ、季節の表情も豊かな関東を離れ、誰も身寄りのない南国奄美に移り住んだ理由には、彼が求める絵画の行方がそこに必ず行けば見つかると確信していたからなのでしょう。“日本のゴーギャン”と言われる由縁は、南国に一人移り住み、その地の風景を描いたという単純な理由ですが、一村の絵はゴーギャンというより、アンリ・ルソーを彷彿とさせるところがあります。ルソーも確か、南国の絵を多く描いていた画家でした。

「海老と熱帯魚」

展示会場の最後の二間は、奄美大島で描いた作品が展示されているのですが、特に最後の間の部屋全体を覆う一村の絵の濃厚な美しさには、彼の生涯を振り返ったとき、評価を得られず、成功することもなく、何度も悔しい思いをし、それでも諦めることなく、挫けることなく、死ぬ間際まで自分の絵画世界を求め続け、闘い続けたその極みが現れているようで、感動の一言に尽きます。

「アデンの海」


【田中一村 新たなる全貌】
千葉市美術館にて
9/26(日)まで

もっと知りたい田中一村―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)
もっと知りたい田中一村―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)


田中一村作品集
田中一村作品集

2010/08/29

ブリューゲル 版画の世界

Bunkamura ザ・ミュージアムで開催中の『ブリューゲル 版画の世界』に行ってきました。

ブリューゲルというと、16世紀ネーデルランドを代表する画家で、「雪の中の狩人」や「バベルの塔」などが有名ですが、もともとは版画の下絵を描いていたそうで、今回の展覧会ではそのブリューゲルの版画と、同時代のネーデルランドの画家による版画が約150点展示されています。

第一章は「雄大なアルプス山脈の賛美と近郊の田園風景への親近感」というテーマで、イタリア旅行の際に目にしたアルプスの山並みにインスピレーションを受けたという自然を背景にした牧歌的な風景の版画が展示されています。この頃の作品は、頭の中にパッと浮かぶブリューゲルの作品群とは異なり、新鮮な印象を受けます。

ピーテル・ブリューゲル「悔悛のマグダラのマリア」

第二章以降になると、だんだんと寓意的な画題が現れ、ブリューゲルらしい作品が登場します。

ブリューゲルの版画は、「七つの罪源シリーズ」(傲慢、激怒、怠惰、貪欲、大食、嫉妬、邪淫)や「七つの徳目シリーズ」(信仰、希望、愛徳、正義、剛毅、賢明、節制)など宗教的な教訓譚や、諺や格言をもとにした寓話が多く、ユーモラスの絵の中には諷刺やエスプリを効かせた寓意が散りばめられています。日本の浮世絵がそうであったように、不特定多数の購買層のために制作されたのだそうで、こうした寓話の版画の多くは、恐らくは民衆向けの道徳教育という目的もあったのでしょう。登場人物たちはユニークで、そこに描かれるストーリーは視覚的で、とても惹きこまれやすいのですが、中には魑魅魍魎としたグロテスクなものもあり、こうしたものが受け入れられた時代背景を考えると、当時の民衆文化を垣間見るようで興味深いものがあります。

ピーテル・ブリューゲル 七つの罪源シリーズより「邪淫」

ピーテル・ブリューゲル 七つの罪源シリーズより「傲慢」

それにしても驚くのは、ブリューゲルの発想のユニークさで、奇想天外というか、洒落ているというか、その柔らかな頭の思考回路に驚嘆の連続です。もともと中世のヨーロッパでは、動物の寓意画というのがあったと思うのですが、恐らくそうした絵にも幼い頃から親しんでいたんでしょう。同じネーデルランドの先人ヒエロニムス・ボスからも多大な影響を受けているようで、そのことを考えるとブリューゲルの画風が新奇でとりわけ異色だったというわけではないようですが、本展覧会に展示されていたブリューゲル以外の画家の版画などを見ても、彼の描く奇々怪々な世界は当時の寓意画の中でも群を抜いていたのが分かります。だけど、こうした版画や絵を20代や30代で量産していたんですよね。ものすごく生き急いだ画家だったんだなと、そんなことも思いました。

ピーテル・ブリューゲル「学校でのロバ」

ブリューゲルの版画をこうして見ていると、彼の油彩画にも共通していることだ思うのですが、人間観察の鋭さを感じずにはいられません。さまざまな寓意の裏側には、当時の民衆の気持ちが代弁されているのではないかと感じることもあります。それがどんなものなのか、勉強不足で自分には全てを感じ取ることはでき ませんでしたが、広く民衆(低層の人々も含めて)の眼差しは真摯なものだったのではないでしょうか。それが後に農民画家と呼ばれるような絵を描くに至ったのかなと感じました。

ピーテル・ブリューゲル 「大きな魚は小さな魚を食う」

よく考えてみると、今回の展覧会は版画なので、浮世絵と一緒で、掘り師がいたり、摺り師がいたりするのでしょうが、16世紀にこれだけ版画の技術が発達していたということにも正直驚きました。ブリューゲルの精緻で緻密な描写が素晴らしいのもさることながら、それを版画にしてしまう技術力は驚くべきものがあると思いました。ブリューゲルの代表作の一つである「バベルの塔」を版画化したものが展示されていましたが、その細かさは単眼鏡がなくては分からないレベルです。

最後に一言。とても目が疲れる展覧会でした(笑)

ピーテル・ブリューゲル「聖アントニウスの誘惑」


【ベルギー王立図書館所蔵 ブリューゲル 版画の世界】
Bunkamura ザ・ミュージアムにて
8/29(日)まで

ブリューゲル (ニューベーシック) (ニューベーシック・アート・シリーズ)
ブリューゲル (ニューベーシック) (ニューベーシック・アート・シリーズ)

ブリューゲルへの旅 (文春文庫)
ブリューゲルへの旅 (文春文庫)