2013/12/28

渇いた太陽


テネシー・ウィリアムズ原作、浅丘ルリ子、上川隆也主演の『渇いた太陽』を観てきました。

原作は『青春の甘き小鳥』。ウィリアムズの代表作の一つで、ジェラルディン・ペイジ、ポール・ニューマン主演で映画化(監督:リチャード・ブルックス)もされている作品です。『渇いた太陽』というタイトルは映画版の邦題になります。

浅丘ルリ子が演じるのは往年の大女優アレクサンドラ。衰えていく若さと美貌、そして第一線を走り続けることの不安からハリウッドから失踪した彼女は酒とドラッグに溺れています。彼女はパームビーチのビーチボーイでハリウッドでの成功を夢見るチャンスを付き人に雇い、南部の町セントクラウドに行き着きます。そこはチャンスの故郷。彼はかつての恋人ヘブンリーと再会しようとするのですが…という物語。

浅丘ルリ子は過去にもこの作品の舞台化のオファーを受けていたそうですが、原作を読んで断っていたといいます。しかも2度も。かつて演じた『欲望という名の電車』でも、ウィリアムズ作品を演じる辛さから熱を出してしまったとも語っていました。そんな演じる側にも精神的な負担を強いるウィリアムズ作品に真っ向から挑む姿はさすが大女優、素晴らしいものがあります。原作では、ハリウッドで成功したとはいえ、そこそこ15年のキャリアの女優の話ですが、浅丘ルリ子は芸歴50年を超える大ベテラン。そこはやはり大女優の貫録と説得力がリアルに出て良かったのではないでしょうか。この役を演じるにはそれ相応の大女優然としたオーラがないと話になりません。

アルコール中毒、ドラッグ、セックス、性病、人種差別、リンチ…といったキーワードが散らばる本作。映画版は、ハリウッドのヘイズコードの問題でストーリーの変更を余儀なくされ、性病という問題を扱えず、ラストも原作とは全く違っていますが、本公演ではほぼ原作に沿った形で上演されているようです。だから、正直、目をつぶりたくなるようなシーンもあります。耳を覆いたくなるようなセリフもあります。そうした難役を難なくこなしてしまうところはスゴいなと思います。

相手役の上川隆也はさすが舞台出身の方だけに手堅いのですが、本来のチャンスが持っているアレクサンドラを利用して伸し上がろうとする野心と若さ故の無謀さ、周りが見えなくなるほどの自分本位さが出ていないというか、上川隆也という役者のもつイメージや年齢的なものが障壁となり、それらがストレートに伝わってこないという感じを受けました。商業的な所を考えると、彼のネームバリューと実力あっての配役だということは分かるのですが、ウィリアムズの芝居を求めるなら、彼はミスキャストだったと思います。

周りはそれなりに舞台経験のある実力派俳優が固めているものの、少々小粒感は否めません。その中では、フィンレーを演じたベテラン俳優・渡辺哲はさすが別格というか、浅丘ルリ子と上川隆也と演じて遜色なかったのは彼ぐらいかなと。ノニ伯母さんとミス・ルーシーの二役を演じた貴城けいも宝塚出身の人だけに巧いのですが、初老のノニ伯母さんはちょっと彼女には無理がありました。逆に芝居を安っぽくしてしまったように感じます。二役にする意味があったのでしょうか。

演出的には、やはり商業演劇のせいか、ウィリアムズを原作にしていながらあまりウィリアムズ臭が薄いというか、過激さや暴力性を抑えると、あれがギリギリのところなのかなと思いながら観ていました。最後に音楽ですが、なぜかモリコーネの映画音楽(『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』)が流れるのですが、たぶん何か意図するところがあるのでしょうが、ウィリアムズ作品のイメージにも舞台の南部のイメージにもそぐわなく、しかも既成の音楽を使っているという有り物感がし、残念な気がしました。

それでも難しい題材の芝居を商業ベースにのせて公演した意義はなかなか大きいのではないでしょうか。またどなたかが再挑戦してくれることを楽しみにしたいと思います。

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