2013/11/26

カイユボット展

ブリヂストン美術館で開催中の『カイユボット -都市の印象派』に行ってきました。

昨年ブリヂストン美術館で開催された『あなたに見せたい絵があります。』展で初めて観たカイユボット。個人的に波長が合ったというか、何か新鮮な魅力を感じたのを覚えています。

カイユボットは印象派のコレクターとして知る人ぞ知る人物(といっても自分は知らなかったのですが)。もとは自身も画家で、印象派展には5回も参加しているそうです。

裕福な家に生まれ、印象派の画家仲間の絵を買い上げては経済的に支援したといいますが、一方でカイユボットは生活のために絵を売却する必要がなく、彼の絵は人目に触れる機会が少なかったとも。そのため画家としての名声は高まらなかったといわれています。

本展は、知られざる印象派の画家ギュスターヴ・カイユボットのアジア初の展覧会で、カイユボットの作品約60点が展示されているほか、カイユボットの弟マルシャル・カイユボットによる当時のパリや家族を写した貴重な写真や、カイユボットと同時代の印象派の画家たちの作品などを紹介しています。


1. 自画像

カイユボットの自画像は数えるほどしかないそうで、ここでは3点の自画像が展示されていました。若い頃の自画像はカンカン帽をかぶった優しそうなイケメンでしたが、40も過ぎると白髪も目立ち、ナイスミドルの紳士といった趣です。

「画家の肖像」
1889年頃 オルセー美術館蔵


Ⅱ. 室内、肖像画

室内画は主に自邸の室内で、肖像画は家族やごく近しい人しか描かなかったというカイユボット。その絵からはカイユボット家のセレブな暮らしぶりや優雅さが伝わってきます。

「昼食」
1876年 個人蔵

家族の団欒を描いているようで、静謐さを感じる一枚。それは静寂というか、静穏というか、孤独感というか。そのトーンはカイユボットの作品を通じて感じられます。

カイユボットはもとはアカデミズムの画家レオン・ポナに学んだといい、ポナを通じドガやモネら印象派の画家たちと知り合ったともいわれています。カイユボットの室内画を観てると、そうしたバックグラウンドや一回り年上のドガに影響を受けているだろうなということが想像できます。

「室内−読む女性」
1880年 個人蔵

カイユボットの絵はときどき歪んでいるというか、遠近感が独特というか、少し不自然さを受けることがあります。それは人間の目というよりカメラの目に近く、広角で写したような感じや、望遠レンズを使いアップで写した感じを受けるのですが、それをさらに誇張しているようなところがあります。弟マルシャルがカメラが趣味で、会場の所々にもその写真が飾ってありましたが、カイユボットも新時代のメカニズムである写真の影響を受けていて、このあたりは他の印象派や同時代の西洋絵画とは異なる感性を感じます。

「ピアノを弾く若い男」
1876年 ブリヂストン美術館蔵

会場には、昨年『あなたに見せたい絵があります。』展で新収蔵作品として公開され、話題を呼んだ「ピアノを弾く若い男」も展示されています。このほかカイユボットの代表作「床削り」の習作や、ポール・ユゴーの全身サイズの大きな肖像画などが印象的でした。


Ⅲ. 近代都市パリの風景

今回の展覧会で、やはり面白いというか、興味深かったのがパリの街を描いた一連の作品。カイユボットの絵が印象派らしく感じないのは、そのタッチもありますが、やはりこの独特の、写真や昔の映画のワンシーンのような構図なのだと思います。

「ヨーロッパ橋」
1876年 アソシアシオン・デ・ザミ・デュ・プティ・パレ蔵

鉄製の橋や広く整備された通り、蒸気機関車といった近代都市を象徴するその風景。労働者なども描かれていますが、ルノワールやマネのようにカフェや踊り子など市井の人々を描いた作品というのはなく(実際には描いているのかもしれませんが)、場所もパリの中心地や上流階級が暮らす地区に限定されていることに気づきます。その点、19世紀後半のパリの文化的な高揚感を写し取ったルノワールなど他の印象派の画家に比べ、同じ文化的な高揚感でも、より都会的な、洗練された印象を受けます。カイユボットが都市の印象派と呼ばれる由縁かもしれません。

「ヨーロッパ橋にて」
1876-1877年 キンベル美術館蔵(展示は11/10まで)

こんな写真のような切り取り方は、それまでの絵にはなかったのではないでしょうか。この新しさが当時どこまで評価されていたか分かりませんが、たとえば「見下ろした大通り」というカイユボットのパリの邸宅の恐らく3階あたりから歩道を見下ろしたアングルなんて伝統的な絵画の構図にはなかったもので、まるで写真表現を予感させ、当時としてはかなり斬新だったのではないかと思います。


Ⅳ. イエール、ノルマンディー、プティ・ジュヌヴィリエ

パリ郊外の別荘地イエールや、後年移り住むプティ・ジュヌヴィリエを描いた風景画も、ほかの印象派の風景画とは異なり、田舎の風景にはない優雅さが強く滲み出ています。

「ペリソワール」
1877年 ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵

“ペリソワール”とは一人乗りのカヌーのこと。カヌーは弟マルシャルが始めた当時最先端のスポーツで、カヌーやボートはカイユボットを代表する主題となります。女性を描くことが多かった印象派の中では、カヌーやボートを漕ぐ男性を被写体にしたカイユボットの作品は異色だったそうです。

「シルクハットの漕手」
1877年頃 個人蔵

プティ・ジュヌヴィリエで描いた風景画には同時代の印象派の画家たちが用いた点描技法を取り入れた作品も多く展示されていました。それでも、どうなんでしょう、点描技法に徹せられなかったのか、あまり合わなかったのか、ただ流行りの絵画技法を使ってみましたというだけのようにも思えます。

「ジュヌヴィリエの平野、黄色い畑」
1884年 メルボルン国立ヴィクトリア美術館蔵

「向日葵、プティ・ジュヌヴィリエの庭」
1885年頃 個人蔵

この「向日葵、プティ・ジュヌヴィリエの庭」なんかも、ファインダーから覗いた風景というか、ヒマワリを前景に被写界深度の深い写真を撮りましたという感じで、とても写真的な近代的な印象がします。


Ⅴ. 静物画

最後に静物画が展示されています。静物だけに限ってしまうと、それまで感じた新鮮味に欠けるというか、それほど上手さを感じないのは何故でしょう。写真的にさえ感じた構図も平面的であまり面白くありません。それでも、装飾画を意図として描かれた「ひな菊の花壇」はカイユボットのセンスの良さを感じます。


カイユボットはとても器用で、技術的にも優れた画家ではあるけれど、ズバ抜けた感じというのは正直ありません。その辺りが他の印象派の画家と評価の面で開きが出た理由かもしれません。ただ面白いのは、絵から育ちの良さを感じるというか、画家として大成しなくても生きていけるからか、がむしゃらさがあまり感じられない点。逆にそこにカイユボットの余裕や優雅さがある気がします。


【カイユボット -都市の印象派】
2013年12月29日(日)まで
ブリヂストン美術館にて


印象派美術館印象派美術館


印象派の歴史印象派の歴史

2013/11/24

ターナー展

東京都美術館で開催中の『ターナー展』に行ってきました。

今回の展覧会は一部の作品を除き、ロンドンのテート美術館から30点以上の油彩画を含む、水彩画やスケッチなど約110点が来日しています。

テートといえば、世界最大のターナー・コレクションを誇る美術館。ターナーは自身の作品専門の展示室を作ることを条件に、ロンドン・ナショナル・ギャラリーに油彩画・水彩画・素描など約2万点を遺贈したそうで、その作品がナショナル・ギャラリーの分館として開設された現在のテートに収蔵されています。


Ⅰ. 初期

会場に入ったところにターナーの有名な肖像画が飾られていました(ただし版画)。ターナーは映画『マイ・フェア・レディ』の舞台として有名なロンドンの下町コベント・ガーデンに生まれます。早くから頭角を現し、史上最年少の26歳でロイヤル・アカデミー(英国王立美術院)の正会員になります。初期の作品のコーナーには10代後半から20代にかけての油彩画や水彩画などが並び、彼の早熟さをうかがうことができます。

「パンテオン座、オックスフォード・ストリート、火事の翌朝」
1792年(ロイヤル・アカデミー展出品)

若き日のターナーは“ピクチャレスクな風景”(絵になる風景)に強い関心を抱いていたといいます。会場入ってすぐのところに、ターナーの10代の頃の作品「パンテオン座、オックスフォード・ストリート、火事の翌朝」が展示されていました。崩れゆく建物と慌てふためく人々の様子がまるで映画のワンシーンのようです。ターナーの作品には劇的なシーンを描いたものも多く、こうした好みは若い頃からのものだったことが分かります。

「ダラム大聖堂の内部、南側廊より東方向を望む」
1798年

教会に差し込む光の柔らかさと光と影の美しさが印象的な一枚。後年の作品と違い建物もきっちり描き込んでいますが、教会の描写に主眼を置くというより、光線の持つ厳かさを絵にしたかったんだろうなという気がします。ダラムはイングランド北東部の都市。ターナーは“ピクチャレスクな風景”を求めてイギリス各地にスケッチ旅行に出かけ、自分の描きたい絵を見つけていったといわれています。

「風景の中でひざまずき、片腕をあげて天を仰ぐ男性裸体像の習作」
1794-95年頃

ターナーには珍しい裸体画のスケッチも展示されていました。なんとも艶めかしいところがターナーぽくありませんが、修練に励んでいた頃はこうした人物描写も学んでいたのでしょう。当時はまだ風景画家の地位は低く、画家として食べていくには肖像画や歴史画などが第一というのもあったのかもしれません。

「月光、ミルクパンより眺めた習作」
1797年(ロイヤル・アカデミー展出品)

初期作品の中で印象に残ったのが「月光、ミルバンクより眺めた習作」で、水面に映る月光が繊細に描かれています。とりわけ際立った個性はありませんが、光と水、湿潤な空気を捉えた表現は後年の、たとえばヴェネチアを描いた作品あたりに繋がるものを感じます。

「嵐の近づく海景」
1803-04年以前 東京富士美術館蔵

ターナーといえばやはり海の絵で、初期の作品にも荒れた海を描いたものが多く、穏やかな海より、嵐や船の難破といったピクチャレスクな海の表情に強く惹かれていたことが分かります。「嵐の近づく海景」は光が差し込んだ前景の海と黒々とした雲の影になっている海の対比が見事で、また船上の漁師たちの描写が作品をよりドラマ性の高いものにしています。


Ⅱ. 「崇高」の追求

嵐の海を描いた作品のように、この頃のターナーはスケール感のある風景や気象を好んで描いていて、そこにある種の崇高さを求め、新たな絵画表現を生み出していこうとしていたようです。

「グリゾン州の雪崩」
1810年(ターナーの画廊に展示)

雪崩の重さ、速さ、そして不気味な鉛色の雲。勢いを強調するためか、雪崩は厚めに塗られています。ターナーが実際に雪崩を体験したかは分かりませんが、自然の驚異や畏怖に対して強い関心を抱いていたことが伝わってきます。

そのほか、木漏れ日が美しい「バターミア湖、クロマックウォーターの一部、カンバーランド、にわか雨」や、ニコラ・プーサンを思わせる風景画と歴史画の融合「エジプトの第十の災い:初子の虐殺」、古代建築の精緻さと朝焼けの色調が素晴らしい「ディドとアエネアス」などが印象に残りました。



Ⅲ. 戦時下の牧歌的風景

18世紀末から19世紀前半にかけてはナポレオン戦争などイギリス海軍が活躍をした時代。ターナーも海軍を讃えた絵を多く手がけたほか、国王の庇護を得ようと描いたという作品なんかも展示されていました。「スピットヘッド:ポーツマス港に入る拿捕された二隻のデンマーク船」や「イングランド:リッチモンド・ヒル、プリンセス・リージェントの誕生日に」はそうした代表作で、1階会場のハイライトになる作品じゃないかと思います。

「スピットヘッド:ポーツマス港に入る拿捕された二隻のデンマーク船」
1808年(ターナー画廊に展示)


Ⅳ. イタリア

ターナーはグランドツアーというには少し年齢が遅い40歳を過ぎてからイタリアへ旅行しています。イタリアで目にしたルネサンスの絵画や建築、そして風景はターナーに大きな影響を与え、イタリアの風景を描いた作品群はターナー中期の重要な位置を占めています。

写真右 「ヴァティカンから望むローマ、ラ・フォルナリーナを伴って
回廊装飾のための絵を準備するラファエロ」
1820年(ロイヤル・アカデミー展出品)

写真左 「レグルス」
1828年(ローマで展示)/1837年加筆

回廊から眼下に見下ろすヴァチカンの壮大な風景が圧倒的な印象を与える「ヴァティカンから望むローマ…」は横3mを超える見応えある作品。手前には恋人や彫刻、自分の絵に囲まれるラファエロを描いているのがユニークなところです。「レグルス」はまぶたを切られ瞬きできないレグルスが眩い光に曝された様を描いた作品で、その劇的な瞬間が見事に絵画化されています。

イタリア時代のターナーの作品は、古代神話や歴史をモチーフにした作品が多く、ターナーが影響を受けたというニコラ・プッサンやクロード・ロランを彷彿とさせるものがあります。特に「レグルス」は構図的にも詩情性でも、クロード・ロランを思い起こさせ、ターナー独特の大気や光の表現はロランから学んだ部分も大きいのだろうと感じます。

「チャイルド・ハロルドの巡礼 − イタリア」
1832年(ロイヤル・アカデミー展出品)

夏目漱石の『坊ちゃん』に登場する“ターナー島”のモデルになった作品ではないかという「チャイルド・ハロルドの巡礼」も展示されていました。


Ⅴ. 英国における新たな平和

このコーナーはスケッチや版画のための原画が多かったのがですが、スケッチといっても、完成度の高い作品が多く、あまり見劣りした感じはしません。見ものは、ターナーのパトロンの貴族ジョージ・ウィンダムの屋敷ペットワース・ハウスために描かれたグワッシュ画で、精彩に富んだ美しい風景画でとても印象的でした。

「座礁した船、ヤーマス:見本用習作」
1827-28年頃

「座礁した船、ヤーマス」はペットワース・ハウスの部屋を飾るために用意されたのですが、難破船は縁起が悪いということでボツになったそうです。

「逆賊門、ロンドン塔」(サミュエル・ロジャースの『詩集』のための挿絵)
1830-32年頃


Ⅵ. 色彩と雰囲気をめぐる実験

ここはちょっと毛色をかえて、ターナーの実験的な作品が展示されています。1810年代後半以降、アトリエで制作したという“カラービギニング(色彩のはじまり)”と呼ばれる実験的な作品群です。

「にわか雨」
1820-30年頃

「城」
1820-30年頃

印象派の登場の半世紀も前の時代に、近代絵画を飛び越え、現代美術に通じるような作品を手掛けていたことに驚かされます。

「三つの海景」
1827年頃

「三つの海景」は海景を三段に分けて描いたもので、まるで抽象表現主義的な、マーク・ロスコを思い起こさせる作品でした。晩年の独特のボワーンとした色彩感はこうした実験の成果なのでしょう。個人的には今回の展覧会で一番興味を引いたコーナーです。

ターナー愛用の金属製絵具箱

会場にはターナー愛用の絵具箱も展示されています。


Ⅶ. ヨーロッパ大陸への旅行

パリやスイス、ドイツ、ルクセンブルグなどの風景を描いた作品を展示。1830年代に入ると、ヨーロッパでは各地に鉄道網が張られ、旅行の概念を大きく変えていきます。ターナーの代表作に「雨、蒸気、速度-グレート・ウェスタン鉄道」(本展には未出品)がありますが、ターナーも列車に乗って各地を旅してまわったようです。

「ハイデルベルグ」
1844-45年頃

印象派の予言を思わせる「ルーアンの帆船」や、雄大な山々と壮麗な城が素晴らしい「ハイデルベルグ」が印象的でした。この頃からターナーの特徴的な黄色が目立つようになります。カレーマニアなどと揶揄されたと解説されていました。


Ⅷ. ヴェネツィア

ターナーはヴェネチアを3度訪れているそうで、特に60歳近くになってからヴェネチアへの思いは強くなったといいます。本展でもヴェネチアを描いた作品はどれも60歳を過ぎてからのものでした。

「ヴェネツィア、総督と海の結婚の儀式が行われているサン・マルコ広場」
1835年頃

「サン・ベネデット教会、フジーナ港の方角を望む」
1843年(ロイヤル・アカデミー展出品)

ヴェネチアらしい作品でいえば、水の都の光景とは裏腹に連行される囚人が描かれた「ヴェネツィア、嘆きの橋」や、「サン・ベネデッド教会、フジーナ港の方角を望む」、水彩画の「ヴェネツィア、月の出」の透明感のある色彩も素敵でした。モネはターナーに影響を受けたといわれますが、こういう作品を観ると確かに納得できます。


Ⅸ. 後期の海景画

やはりターナーらしさというか、面白さを感じるのは海景画で、若い頃のドラマティックな絵作りとは異なり後期の作品からは何か極めた感がビンビン伝わってきます。

「海の惨事」(別名「難破した女囚舟アンピトリテ号、
強風の中で見捨てられた女性と子どもたち」)
1835年頃

ジェリコーの「メデューサ号の筏」を意識したという「海の惨事」や、最早クジラだか嵐だかなんだか分からなくなっている「捕鯨船員たち」、ほとんど抽象絵画の「荒れた海とイルカ」などが印象的でした。

「荒れた海とイルカ」
1840-45年頃


Ⅹ. 晩年の作品

晩年のターナーの作品は曖昧さが増していき、どこか抽象絵画に繋がっていくというか、その登場を予感させるようなものがあります。晩年の作品には未完とも完成作とも言われる作品も多く、展覧会会場のその場でディテールを描き込むこともあったということです。老いてなお作品の仕上がりに満足せず、更なる高みを求めていたということでしょうか。

「平和-水葬」
1842年(ロイヤル・アカデミー展出品)

「平和-水葬」はターナー晩年の代表作の一つ。旅の途中に死去した盟友の葬儀(水葬)の様子を描いた作品で、昼間なのに夜景のような幻想的な雰囲気を持ち、黒々とした船や煙が弔う哀しみや死を強くイメージさせます。

「湖に沈む夕陽」
1840-45年

生前未公開の作品だったという「湖に沈む夕陽」や、「戦争、流刑者とカサ貝」、「風景:タンバリンを持つ女」など、ターナーにしか出せない唯一無二の作品という味わいがあり、個人的にはかなり好きでした。

「ウォータールー橋上流のテムズ川」
1830-35年頃

テートからたくさんの作品が来日していますが、ターナーの傑作と呼べるほどの作品が少なかったのが少し残念でした。それでも、水彩画やスケッチ画も油彩画に引けを取らない素晴らしい作品ばかりで、満足度の高い展覧会でした。


(本レビューは11/8にアップしたブログの内容を、ブロガーイベントで撮影した写真を加え、加筆修正しています。)
※会場内の写真は主催者の許可を得て撮影したものです。


【ターナー展】
2013年12月18日(水)まで
東京都美術館にて


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2013/11/23

吉例顔見世大歌舞伎 仮名手本忠臣蔵

歌舞伎座で吉例顔見世大歌舞伎・通し狂言『仮名手本忠臣蔵』を観てきました。

歌舞伎座新開場の柿葺落で初めての顔見世興行。本来ならば、現役最高峰の歌舞伎役者たちが顔を揃えるお祝い的なものになったであろう公演ですが、仁左衛門の休演や、今度は福助までも体調不良で休演とあって、柿葺落公演の疲れや無理がここにきてドッと出たのではないかと心配になります。

12月にも同じ演目を花形で行うということもあり、今月はベテラン勢を中心とした座組になりましたが、それでもさよなら公演の顔見世の『仮名手本忠臣蔵』に比べると寂しさを感じずにはいられません。

とはいえ、見どころたくさんの演目。菊五郎・吉右衛門の今が最高の円熟の芸を堪能いたしました。

さて昼の部。
まずは「大序」と「三段目」。高師直は当初予定されていた吉右衛門が由良之助を演じることになったので代演で左團次。若狭之助への嫌みたらしさや顔世御前への態度の嫌らしさが左團次独特の個性と大きさと相俟って素晴らしい師直でした。ただ、塩冶判官への辱めはもう少し憎々しさがあっても良かったかもしれません。菊五郎の塩冶判官はどちらかというとおっとり型なので、塩冶判官が激情するほどのネチッコさが欲しかった気もします。対する若狭之助は梅玉が気迫漲る演技を見せ、塩冶判官の悲劇へと繋がる緊迫感を作りあげています。芝雀の顔世御前も貞節を頑なに守ろうとする強さが見えて出色。松之助の伴内が笑いを誘います。

昨年の花形歌舞伎で塩冶判官を演じた菊之助は怒りを抑えに抑え、感情が爆発していくプロセスを巧みに演じていましたが、菊五郎の塩冶判官は菊之助のように感情を表に出さず、ハラで丁寧に演じ、そこに強い説得力を生みだしています。同じ音羽屋の親子でもこうも違うのだなとちょっと驚きでした。

「四段目」も無念さを滲ませた菊之助とは異なる菊五郎の判官で、静かなその表情からは覚悟とともに悔しさ、無念さが強く伝わってきます。由良之助を待つ感情の揺れが芝居に厚さを与えて秀逸。そしてその重く辛い空気を吉右衛門演じる由良之助が引き継ぎ、緊張感が途切れることなく評定場の見事なドラマに結実していく様はさすが大歌舞伎です。ここでは先ほどの師直とは打って変わっての左團次の右馬之丞、また梅枝の力弥が印象的でした。

「道行」は梅玉の勘平に時蔵のお軽。お家の一大事に不忠を犯し、顔色すぐれぬ勘平を元気づける姉さん的なお軽を時蔵が好演。昼の部の幕にふさわしい舞台でした。

さて、夜の部は「五段目」から。
菊五郎の勘平は音羽屋の家の芸。菊五郎型といわれるカタで見せる様式の面白さ。そこに風情さえ感じさせるのは円熟の味でしょうか。また二つ玉の松緑が斧定九郎を一分の隙のない流れるような動きで見事。「六段目」も菊五郎の存在感。この勘平を見るだけでも歌舞伎座に行く価値はあります。やや淡白な嫌いはありますが、心理描写の積み重ねで丁寧に見せていく様はやはり熟達した役者のなせる技。

「六段目」では東蔵のおかやが田舎の母親を熱演していたのが目を引きます。いつもは少し控えめな感じの東蔵ですが、菊五郎の勘平に負けない押しのある演技で強い印象を残しました。時蔵も、「道行」の勘平を引っ張っていくお軽の愛の強さがこの「六段目」にも通じていて、勘平への深い愛情がひしひしと感じられる良いお軽でした。又五郎の千崎も勘平への憐憫の情だけでなく、その無念さを引き受けようという心の深さが感じられ素晴らしかったと思います。

「七段目」は播磨屋。酔態の軽妙さの表現の豊かさと、そこに隠す本心の確固とした思いの見せ方が見事。お軽は福助休演のため芝雀。個人的には六段目の流れで時蔵のお軽で見たかったのですが、ここは相手が吉右衛門ですし、また今年の一月に七段目でお軽を演じていることもあっての選択なのでしょう。その芝雀のお軽はとても健気で、可愛らしさを感じるお軽でしたが、遊女の風情に物足らなさも。平右衛門はこれも代役で梅玉。そつなくこなしているのですが持ち役でないので気の毒というか、梅玉と芝雀の兄妹のやり取りは少々退屈な感じがしました。昼の部に引き続き、幹部昇進の橘三郎の九太夫と松之助の伴内が安定の上手さを発揮しています。

最後は「十一段目」。場面転換が多く、緊迫した雰囲気も途切れ途切れで、折角の浪士たちが本懐を遂げる場面も今ひとつ盛り上がりに欠けるのは演出の問題でしょうか。その中でも錦之助と歌昇の立ち廻りが見もの。七段目に続いての鷹之資の力弥には客席の拍手も大きく、感慨深いものがありました。


仮名手本忠臣蔵仮名手本忠臣蔵

2013/11/12

描かれた都 -開封・杭州・京都・江戸-

大蔵集古館で開催中の『描かれた都』に行ってきました。

江戸絵画や中国絵画を中心に、都市の景観や風俗が絵画の中でどう描かれて来たのかを展観するという企画展。北宋の首都・開封、南宋の首都・杭州、そして京都と江戸、中国と日本の四大都市にスポットを当て、その都市景観図を紹介しています。

ちょうど東京国立博物館でも『京都-洛中洛外図と障壁画の美』を開催していて注目が集まっている洛中洛外図屏風や、昨年の『北京故宮博物院展』で話題になった「清明上河図」の模本なども展示されていて、タイムリーな展覧会だなと思い観に行ったのですが、文明的にも文化的にも発展した都市はその景観も絵になるというか、都市の成熟というものは絵画の成熟も生むのだなと強く感じる展覧会でした。


第一部 北宋の都、開封 ~水辺の都市の変容、蘇州へ

ここでは「清明上河図」の3つの模本を展示。「清明上河図」はたくさんの模本が存在し、またいくつかの系統があり、それぞれに展開していったようです。展示されていた3点はいずれも“蘇州片”と呼ばれる模本で、蘇州を中心とした江南の街の賑わいや風俗が描かれています。

仇英(款) 「清明上河図」(部分)
明時代 大倉集古館蔵

会場に故宮博物院所蔵の「清明上河図」がパネル展示されていましたが、模本といっても寸分違わず同じという訳ではなく、図柄や描き方が微妙に変化しています。故宮博物院の「清明上河図」とはずいぶん印象も異なるなと感じる作品もありました。


第二部 南宋の都、杭州~憧憬の西湖

杭州といえば西湖で、日本の水墨画でもときどき見かける画題です。中国の西湖図だけでなく、日本の絵師による西湖図や、また狩野派の古画の模写図帖も展示されていて、水墨画が日本に伝わる中でどのように継承されていったのか、中国と日本でどう描写に違いがあるのか、興味深いものがあります。

狩野山楽 「西湖図」(重要美術品)
江戸時代 個人蔵(期間中、場面替えあり)

西湖の全景を俯瞰で捉えた清代の宮廷画家・呉●(火に睪)の 「西湖図」や古い版本を見ると、西湖とはこういう景観なのかということがよく分かるのですが、これが狩野山楽や池大雅になってくると最早伝言ゲームで、あくまでも憧憬としての西湖図になってきます。山楽の「西湖図」は4面表裏計8面の襖絵で、奇矯な感じはありませんが、岩山や樹木の描写に山楽らしさが溢れています。

並びには、西湖の孤山で隠遁生活を送ったという詩人・林逋(林和靖)を描いた中国の「林和靖図」や同じく蕭白や探幽の「林和靖図」(探幽のは画帳)も展示されていました。


第三部 京都~花洛尽しの世界

開封といえば清明上河図、杭州といえば西湖図であるように、京都といえば洛中洛外図。ここではその洛中洛外図や遊楽図を中心に展示しています。目玉はやはり永徳の「洛外名所遊楽図」。永徳の「洛中洛外図屏風(上杉本)」より一回り小さく、神社仏閣や樹木の描写が少々粗い気もしますが、人物は確かに上杉本と酷似しています。

狩野松栄 「釈迦堂春景図」
桃山時代 京都国立博物館蔵(展示は11/10まで)

個人的なお気に入りは松栄の「釈迦堂春景図」と、久隅守景 の「賀茂競馬・宇治茶摘図」で、「釈迦堂春景図」は嵯峨釈迦堂(清涼寺)の春景を描き、お堂で昼寝する乞食が描かれていたりと狩野派らしい絢爛さの中にも遊び心があり、また上賀茂神社の競馬の神事を描いた「賀茂競馬・宇治茶摘図」(後期は右隻の宇治の茶摘みの春景を展示)は生き生きした人物描写が秀逸です。

そんな中で一番ビックリしたのが長谷川巴龍の「洛中洛外図」。洛中洛外図に描かれる位置関係はどれもざっくりしてますが、本作は二条城の上に知恩院の鐘楼が描かれていたり、二条城の下方に鴨川があったり、変なところに東寺があったりとかなりテキトー。何より建物の形がいびつで、人物もお世辞にも上手いとは言えず、ヘタウマ系洛中洛外図という感じでした。しかも“法橋”印を勝手に付けるというオマケつき。かなり衝撃的です。


第四部 江戸~新たな東都、現代へ

最後は江戸。江戸に暮らす多様な人々の風俗を描いた宮川長亀の「上野観桜図・隅田川納涼図」や北斎の「北斎画譜 夜景の川辺」、鍬形蕙斎「東都繁昌図巻」などはどれも江戸の賑わいを今に伝え、見飽きません。白眉は歌川広重の「飛鳥山・隅田川・佃島図」(後期は「隅田川」のみ展示)で、繊細かつ叙情的な表現が秀逸です。

山口晃 「東京圖 六本木昼図」
2002年 森美術館蔵

山口晃の「東京圖 六本木昼図」も展示されていて、時空と空間を超える面白さを感じる充実した展覧会でした。

※紹介した作品には前期展示(既に終了)のものも含まれています。


【描かれた都 - 開封・杭州・京都・江戸 -】
2013年12月15日まで
大蔵集古館にて

描かれた都: 開封・杭州・京都・江戸描かれた都: 開封・杭州・京都・江戸

2013/11/07

MIWA

NODA・MAPの最新作『MIWA』を観てきました。

美輪明宏の半生を野田秀樹が劇化し、宮沢りえがそれを演じるという話題の舞台。昨年の紅白歌合戦を挙げるまでもなく、いまだ圧倒的なパワーと影響力を持つ美輪明宏をどう調理するのか、観る前からこれほど楽しみだった舞台も久しぶりです。

気になっていたのは、美少年としての丸山明宏か、怪物としての美輪明宏か、はたまた新たな創造物か、宮沢りえが主演なのだから恐らくは美少年・丸山明宏がキーになるのか、などといろいろ想像しながら、劇場に向かいました。

ネタバレになってしまいますが、丸山臣吾(美輪明宏(丸山明宏)の改名前の本名)がこの世に生まれいずるところから舞台は始まります。彼が男性なのか、女性なのか、それとも両性を併せ持った存在なのか。プロローグでは彼のアイデンティティをめぐる問答が繰り広げられます。このときに彼のもう一つの“声”として登場するのが両性具有の安藤牛乳ことアンドロギュヌス(古田新太)。アンドロギュヌスは臣悟の声として、分身として、守り神として、付きつ離れつ彼を導きます。

ストーリーはもちろんフィクションの形を取っていますが、基本的に美輪明宏の複雑な家庭環境や幾つもの出会いと別れ、戦争(原爆)など、実際のエピソードを取り入れて展開していきます。

臣吾を生んですぐ亡くなる実母や育ての母を井上真央が、初恋の相手や恋人・赤紘繋一郎を瑛太が、臣吾を見守る丸山家のお手伝いさんや銀巴里での仲間を浦井健治と青木さやかが、臣吾の父やゲイバー、銀巴里の支配人を池田成志が、といったように役者はそれぞれ役目を担わされ、まるで輪廻転生のように彼の前に現れては消えていきます。

もちろん野田秀樹の芝居らしくスピード感と笑いと言葉遊びに溢れています。美輪明宏の前世・天草四郎をスライドさせるところなど上手いなと思います。ただ、やはり今も生きる有名人の、そして本人公認(?)の芝居ですから、批判的なところ、否定的なところはなく、美輪明宏の波瀾万丈の人生と歌と美貌をなぞりつつ、美輪明宏を賛美して終わります。思い切った冒険があるわけでもなく、美輪明宏を題材にした芝居の想定の範囲内という印象でした。

ここ最近の野田秀樹の、現代社会に潜む歪みや問題を投げかけるといったこともありません。強いていえば、美輪明宏や同性愛者たちが受けた侮蔑的な差別や偏見、容赦ない人格否定といったホモフォビアが取り上げられてはいますが、テーマはあくまでも美輪明宏の人生であり、ホモフォビアはテーマとして提起されるほどのものではなかったように思います。

芝居は期待を裏切らない面白さがあり、野田ファン、美輪明宏ファンにも十分受け入れられる内容だと思います。ただ、物足らなさがあるとすれば、毒気のない優等生的な芝居、そういったところにあるような気もします。ひたすら美輪明宏を美化する内容に気持ち悪さを感じる向きもあるかもしれません。

最近の野田秀樹の舞台はあまり観てませんので、たいしたことは言えませんが、化け物や両性具有、また「もうそうするしかない=妄想するしかない」といった言葉遊びなどは昔の、たとえば『小指の思い出』や『半身』あたりを思い起こさせます。そういった意味では夢の遊眠社時代の作品に近いような感じも受けました。

最後に、やはり特筆すべきは宮沢りえの驚異的なパワーと存在感、そして古田新太や井上真央、瑛太、浦井健治、池田成志らの的確な演技とチームワークで、こうした役者の才能の引き出し方の抜群の上手さは野田秀樹の芝居の面白さだなと感じます。


野田秀樹 (文藝別冊/KAWADE夢ムック)野田秀樹 (文藝別冊/KAWADE夢ムック)


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