2014/11/22

ジュルジョ・デ・キリコ展

パナソニック汐留ミュージアムで開催中の『ジョルジョ・デ・キリコ展』に行ってきました。

高校生の頃、初めて買った画集がデ・キリコとマグリット。その2人の展覧会が相次いで東京で開かれるなんて、なんという偶然でしょう。

デ・キリコといえば、“形而上絵画”と呼ばれる作品群で注目を集め、それこそルネ・マグリットやマックス・エルンストなどシュルレアリスムの画家たちに大きな影響を与えた20世紀を代表する画家。奇妙な建築物や脈絡のないオブジェ、歪んだ遠近感に意味も分からないながらも、強く惹かれていたのを覚えてます。

東京でのデ・キリコの展覧会は約10年ぶりになるのだとか(大丸ミュージアムで観た記憶がありますが、それかな?)。本展では、パリ市立近代美術館に寄贈された未亡人の旧蔵品を中心に、国内外の所蔵作品から代表作を含む約100点を紹介しています。


Ⅰ 序章:形而上絵画の発見

1910年代の作品4点を展示。モディリアーニやマティスを発掘し、デ・キリコにとっても最初な画商だったというポール・ギヨームを描いた『ポール・ギヨームの肖像』をはじめ、典型的なデペイズマンを描いた“形而上絵画”を象徴する作品として、「福音書的な静物」や「謎めいた憂愁」があります。しかし、この画家の一番見どころのある時期の作品がたったこれだけとは…。

デ・キリコ 「謎めいた憂愁」
1919年 パリ市立近代美術館蔵


Ⅱ 古典主義への回帰

シュルレアリスムが盛り上がりを見せる中、一転デ・キリコは古典主義に傾倒します。第一次世界大戦後、それまでの前衛美術からの反動で古典美術に回帰する風潮が起こったのだとか。ピカソの新古典主義もちょうどこの頃だと考えると、時代の流れが見えてきます。ここではシュルレアリスムと決別し、古典に回帰した1920年代から1940年代の作品を中心に紹介。

デ・キリコの形而上絵画に注目が集まり、1925年の『第1回シュルレアリスム展』でシュルレアリスムの先駆的作品として称賛を浴びる一方、1919年には既に古典主義の絵画技法に戻ることを訴えた「メティエへの回帰」を美術雑誌に発表していたりするので、割と早い段階でデ・キリコの中では形而上絵画は終わっていたのかもしれません。しかし、形而上絵画から古典主義へと画風は変わっても、古代ローマや古代ギリシャの絵画や彫刻を想起させる剣闘士や馬、また海といったモチーフは終生描き続けていたようです。

デ・キリコ 「白い馬」
1930年頃 パリ市立近代美術館蔵

会場には素描画もたくさん展示されています。デ・キリコはデッサンを重んじていたそうで、油彩画を見ると下手なのか上手いのかよく分からないところがありますが、素描画を見ると、基礎はできている人なんだろうなと感じます。形而上絵画とは異なり、とても真面目にデッサンしていて、いろいろと研究していた様子が見て取れます。


Ⅲ ネオバロックの時代-「最良の画家」としてのデ・キリコ

デ・キリコの形而上絵画は初めの10年ぐらいで収束してしまうので、そのあとからが画家デ・キリコの真価が問われるところかもしれません。ピカソは新古典主義からシュルレアリスムへと変化を見せますが、デ・キリコは1940年代に入るとネオ・バロックにシフトしていきます。

「赤と黄色の布をつけた座る裸婦」は妻イザベッラ・ファーを描いた作品。ティツィアーノやルーベンスの影響もあるとか。伝統的な裸婦画の系譜を感じさせるも、赤と黄色の布の対比や背景の海に不思議な感覚を覚えます。

デ・キリコ 「赤と黄色の布をつけた座る裸婦」
制作年不詳 パリ市立近代美術館蔵

自画像も数点あって、これがまた印象的。デ・キリコは自画像を30点ほど残していて、自然な姿のものと騎士などに扮装をしたものと2つに分かれるそうです。1920年代に描かれた「母親のいる自画像」やテンペラによる「自画像」は興味深いところがあります。

ほかにも裸婦画や静物画などもあって、どれも写実的で巧いのですが、強い個性を感じるまでのものは正直ありませんでした。その中で面白かったのが、絵ハガキのように美しい「ヴェネツィア、パラッツォ・ドゥカーレ」。一瞬印象派的な感じも受け、こういう絵も描くんだなと意外な発見。「ノートルダム」や「赤いトマトのある風景」はこの時代の特徴的な画風が出ていて割と好きでした。


Ⅳ 再生-新形而上絵画

形而上絵画を再び描き始めてからの作品を紹介。多くは過去の作品の自己複製なので、初期の作品の出品が少ない分、デ・キリコの形而上絵画がどういうものかを知るという点では参考になるのですが、結局は摸倣であり、何かクオリティーが上がっているかというとそういうわけではなく、新しさがないという点でこの時代の作品は面白味に欠けます。

デ・キリコ 「吟遊詩人」
1955年 ガレリア・ダルテ・マッジョーレ蔵

「吟遊詩人」はデ・キリコの形而上的主題で最も古いもの。「吟遊詩人」が2作、「不安を与えるミューズたち」も2作、「イタリア広場」が2作、形而上的室内やギリシャ神話に材を取ったものも複数。こうしたデ・キリコの典型的な主題を立体化したようなブロンズ像も数点あり、これがいい。ちょっと欲しくなるレベル。

デ・キリコ 「慰める人」
制作年不詳 パリ市立近代美術館蔵

デ・キリコのドキュメンタリーが会場(の外)で流れていて、その中でデ・キリコが「私の絵を完全に理解している人は、世界に2~3人しかいない」と語っていたのですが、晩年に過去の自分の作品をコピーして再び形而上絵画を制作するようになった背景にはどんな思いがあったのでしょうか。


Ⅴ 永劫回帰-アポリネールとジャン・コクトーの思い出

かつてデ・キリコが制作したアポリネールやコクトーの詩集の挿絵を、再構成して描いた晩年の作品を紹介。発想が相変わらずユニークだなとは感じますが、このひとの晩年は思い出を求めることでしか生きられなかったのかなと思ったりもしました。

「神秘的な動物の頭部」は一説にはデ・キリコの肖像画ともいわれる最晩年の作品。まるで肖像画を野菜や花などの集合体として描いたアルチンボルドを思わせます。

デ・キリコ 「神秘的な動物の頭部」
1975年 パリ市立近代美術館蔵

個人的には一番観たかった、初期の勢いのあった頃の作品が少ないというのが残念に思いました。出品作のほとんどが未亡人の旧蔵品ということもあるので、それは致し方ないのかもしれません。中期の古典回帰の作品や後期の自己模倣作品は充実しているので、デ・キリコのことはひと通り分かりますが、ここはやはりオリジナルの形而上絵画を集めた回顧展をいつか望みたいところです。


【ジョルジョ・デ・キリコ -変遷と回帰-】
2014年12月26日まで
パナソニック汐留ミュージアムにて


シュルレアリスム宣言・溶ける魚 (岩波文庫)シュルレアリスム宣言・溶ける魚 (岩波文庫)


2014/11/21

有吉佐和子歿後30年記念特別展

杉並区立郷土博物館で開催中の『有吉佐和子歿後30年記念特別展 いのちの証-書くこと、家族、杉並-』に行ってきました。

有吉佐和子が亡くなって30年。もうそんなになるんですね。「華岡青洲の妻」「紀ノ川」「香華」「芝桜」「悪女について」「開幕ベルは華やかに」…。大好きな作品がたくさんあります。

生涯に60冊以上の著作を残したといい、テーマも家族の問題から、高齢者問題や環境問題、政治、歴史、伝統芸能に至るまで多岐に渡っています。作品は今も舞台化や映画化、テレビドラマ化され、没後30年ということで復刊も相次ぎ、人気の高さが伺えます。

有吉佐和子は杉並区立郷土博物館から程近い堀ノ内に終戦後に移り住んでから亡くなるまで長年暮らしていたそうです。本展はそのゆかりの地・杉並での没後30年記念展になります。


会場は次の章から構成されています。
プロローグ
第一章 有吉佐和子 -作品とその奥行-
第二章 描いた家族・生きた家族
第三章 小説を越えて
第四章 自宅での日々
第五章 杉並のまちへ
エピローグ

展示品は約70点。自筆原稿や創作ノート、取材メモ、また初版本や映画化・舞台化された作品の資料やパンフレット、愛用の着物や茶道具、雛飾りといった遺品などなど。展示室は広くないので、正直物足らなさもあるかもしれません。世田谷文学館のようなスペースやボリュームは期待しないでください。それでもこうして有吉佐和子の残したものを観られるのはファンには嬉しい限りです。

展覧会は全体として、サブタイトルにもあるように、<書くこと>と<家族>に焦点が当てられています。有吉佐和子は身体が弱く、十枚も原稿を書けば顔が真っ青になり、一作書き終わると寝込み、入院することもあったようです。有吉が執筆活動に専念できるよう、有吉の母は出版社とのやり取りから家計や税金の計算、さらに有吉の娘・玉青の養育まで一切を引き受けたといいます。そうした家族の協力や強い絆が、有吉佐和子の作品を支えていたんだなと伝わってきます。


第一章では、父の仕事の関係で訪れたジャワ島での暮らしや、歌舞伎に対する強い思い、またクリスチャンであることの葛藤を示す資料や写真などが展示されていて、小説を書き始めるに至る経緯が分かります。有吉が作家デビュー前に雑誌『演劇界』で嘱託記者をやっていたり、舞踊家・吾妻徳穂の秘書をしていたことは知られていますが、懸賞論文で入選したときの『演劇界』や吾妻徳穂との写真、それに『演劇界』の原稿料の支払い明細なんていうのもありました。ちなみに『演劇界』では「尾上松緑論」、「勘三郎について」、「海老蔵について」を寄稿していたようです。

第二章には、「紀ノ川」のモデルになったという和歌山の母方の一家の写真や、小説にも登場する慈尊院の“乳房形”、取材時の様子を撮った写真やノートなどもあって、こういうのを見ると、また本を読みたくなってきます。

最後の方には、有吉佐和子の晩年に交友があったという作家の橋本治が有吉のために編んだセーターが展示されています。加山又造が装丁を手がけた「真砂屋お峰」の千羽鶴のデザインをあしらったもので、さすがという感じ。

会場には昭和33年に東京宝塚劇場で行われた文藝春秋社の文士劇の様子を撮影した5分ほどの映像が流れていて、これが見ものです。「音菊文春歌舞伎」として有吉佐和子が白玉を演じた「助六」の様子を撮影したもので、助六は石原慎太郎、揚巻は曾野綾子、髭の意休に三島由紀夫と超豪華。花道もあるし、セットも歌舞伎座みたいだし、本格的です。楽屋での有吉と三島の会話も楽しい。


会場には有吉作品の文庫本などもあるので手に取って見ることもできます。

杉並区立郷土博物館はちょっと不便なところにあって、駅からだと歩くので、バスで行くのがいいと思います。入場料100円、図録も400円とお得です。


【有吉佐和子歿後30年記念特別展 いのちの証-書くこと、家族、杉並-】
2014年12月7日まで
杉並区立郷土博物館本館にて


紀ノ川 (新潮文庫 (あ-5-1))紀ノ川 (新潮文庫 (あ-5-1))


真砂屋お峰 (中公文庫)真砂屋お峰 (中公文庫)


地唄・三婆 有吉佐和子作品集 (講談社文芸文庫)地唄・三婆 有吉佐和子作品集 (講談社文芸文庫)

2014/11/15

高野山の名宝

サントリー美術館で開催中の『高野山の名宝』展に行ってきました。

来年2015年は高野山の開創1200年という節目の年だそうで、それを記念しての展覧会です。

高野山は、唐で密教を学んだ弘法大師空海が密教修行の根本道場として開山した日本仏教の聖地。「山の正倉院」と呼ばれるほど仏教芸術では国内最大規模の所蔵を誇り、日本の国宝の2%は高野山上にあるといいます。

空海ゆかりの宝物をはじめ、高野山に伝わる寺宝のうち、国宝・重要文化財を含む約60件(そのうち1/3が仏像)が期間中に展示されます。わたしが観に行った日も出品作は40数点と数としては多くありませんが、仏教史・仏像史に残る傑作が多いので、非常に満足度の高い展覧会でした。


会場は3つの章で構成されています。
第1章 大師の生涯と高野山
第2章 高野山の密教指導
第3章 多様な信仰と宝物

最初のコーナーでは、高野山に残る空海請来の遺品をはじめ、空海の伝記をまとめた絵巻や弘法大師像、密教法具などが展示されています。

「諸尊仏龕」は空海が唐から持ち帰ったもの。白檀の内部に仏像を彫り出した厨子で、観音開きの扉を備え、携帯できるようになっていることから「枕本尊」とも呼ばれたといいます。高さ20cmほどの小ぶりな仏龕ですが、彫刻は非常に細密に造られています。3年前に東京国立博物館で開催された『空海と密教美術展』にも出品されていましたね。

「諸尊仏龕」(国宝)
中国・唐時代 8世紀 金剛峯寺蔵

そのほか4階の第一会場には、密教諸尊を視覚化した「両界曼荼羅図」や「板彫胎蔵曼荼羅図」、真言密教の根本仏である大日如来、胎蔵界の不動明王や金剛界の愛染明王にまつわる仏像や仏画が並びます。

快慶 「執金剛神立像」(重要文化財)
鎌倉時代・建久8年(1197) 金剛峯寺

白檀の一材製で小さな仏像ながらも精緻な截金文様が今も美しい「毘沙門天立像(胎内仏)」やエキゾチックな「大日如来坐像」など珠玉の仏像の中、やはり素晴らしいのは快慶の仏像。

「執金剛神立像」は以前は快慶作と断定されていませんでしたが、近年、仏像の内部から東大寺を再興した僧・重源の要請で快慶が像を作ったことを示す文書が発見されたそうで、本展では快慶作と紹介されていました。端正な作風の快慶にしては珍しいとのことですが、ダイナミックな造形がカッコイイ。

快慶 「四天王立像」(重要文化財)
鎌倉時代・12~13世紀 金剛峯寺
※左から、 持国天、増長天、広目天、多聞天

第一会場の一番奥には同じく快慶の「四天王立像」。上の写真とは順番が異なり、実際には右から「多聞天」「持国天」「増長天」「広目天」の順で並んでいます。快慶とその工房の作とされ、特に最も精巧で力強い「広目天」は快慶作と断定されているようです。東大寺大仏殿に安置されていた四天王像(1567年に焼失)の制作のための雛型とも指摘されているとか。四軀とも忿怒の相を表し、どれも非常に勇壮な姿が見事です。

快慶 「孔雀明王坐像」(重要文化財)
鎌倉時代・正治2年(1200) 金剛峯寺

さて、3階に降りた第二会場には、中央にどどーんとこれまた立派な「孔雀明王坐像」。高野山・孔雀堂の本尊で、明快な面貌と端正な作風は快慶前半期の特徴とのこと。美しい仏像もさることながら、孔雀の羽を模った光背や台座の孔雀も非常に華やか。

そばには、もとは東寺伝来で、秀吉が高野山に奉納したとされる「五大力菩薩像」が展示されています。5幅あった内の3幅が現存していて、3幅とも期間を替えて1幅ずつ展示。菩薩様なのに怒りに燃えた表情と火焔が強烈な印象を残します。

「五大力菩薩像のうち金剛吼菩薩」(国宝)
平安時代・10~11世紀 有志八幡講蔵 (展示は11/3まで)

最後の第三会場の広い空間には「不動明王坐像」とその眷属である「八大童子像」。会場配置が上手く考えられていて、観やすい高さでじっくり鑑賞できます。高野山に行ってもこんなに間近で観ることなんてできないのではないでしょうか。

八大童子の内、6体は運慶(および一門)の作とされ、阿耨達童子と指徳童子のみ後補だそうです。なるほど運慶作とされる6体と見比べると、後代のものは造りが明らかに違いますし、彩色もされてませんし、何より目が違います。運慶作の6体は玉眼が効果を上げていて、その眼差しは生気に満ち、強い意志すら感じます。リアルな表現力に圧倒されっぱなしです。

運慶 「八大童子像」(国宝)
鎌倉時代・12世紀(内2体は南北朝時代・14世紀) 金剛峯寺
※左から、指徳童子、恵光童子、矜羯羅童子、制多伽童子、烏倶婆誐童子、清浄比丘童子、恵喜童子、阿耨達童子

サントリー美術館の適度な暗さと空間が、高野山の仏像や美術品の荘厳さを失うことなく、ある種の高みすら感じさせる素晴らしい展覧会でした。よくぞここまで貸し出してくれたことに感謝感謝。


【高野山開創1200年記念 高野山の名宝】
2014年12月7日まで
サントリー美術館にて


高野山 (岩波新書)高野山 (岩波新書)


空海・高野山の教科書空海・高野山の教科書


日本美術全集7 運慶・快慶と中世寺院 (日本美術全集(全20巻))日本美術全集7 運慶・快慶と中世寺院 (日本美術全集(全20巻))

2014/11/09

醍醐寺展

渋谷区立松涛美術館で開催中の『御法に守られし 醍醐寺展』に行ってきました。

本展は松濤美術館のリニューアルオープン記念第2弾の特別展で、東京では13年ぶりの醍醐寺展とのこと。

世界遺産にも登録されている洛南の醍醐寺には5年ほど前に訪れたことがあり、国宝の金堂や五重塔をはじめ、霊宝館では数々の寺宝を拝見し、とくに霊宝館の充実ぶりにはとても感動したのをよく覚えています。

その醍醐寺から国宝・重要文化財を含む貴重な名宝の数々が来ているわけですが、9月まで奈良国立博物館で開催されていた『国宝 醍醐寺のすべて』とは別物の企画展になります。ただし、奈良博では出品されなかった、醍醐寺でも最も貴重な寺宝の一つ、国宝「過去現在絵因果経」がこちらでは展示されています。


展覧会は、
第1章 み仏のおしえ ~「国宝 過去現在絵因果経」と経典類~
第2章 み仏のすがた ~密教の彫刻と絵画~
第3章 み仏とつながる ~密教法具類~
第4章 醍醐にひらく文雅 ~桃山・江戸時代の絵画と工芸品~
という構成になっていますが、会場は地下1階に2章→1章→3章、2階が3章と4章という順番になります。

まずは真言密教にまつわる仏像や絵画から。密教では複雑な宇宙観や真理は言葉で表しがたく、色や形を用いてそれを表すといいます。古くから密教寺院に仏画や曼荼羅が多くあるのは、絵図を通して悟ってもらいたいということなのでしょう。

「閻魔天像」(国宝)
平安~鎌倉時代・12世紀 醍醐寺蔵(展示は11/3まで)

「閻魔天像」はよくイメージされるような地獄の王としての怖い姿ではなく、観音様かと一瞬思うような慈悲深いお顔をされています。忿怒相として描かれる以前の古い単独の閻魔像としては最古の遺品とのこと。水牛にまたがり、人頭杖を手にするのは閻魔様の基本的な図様だそうです。

「虚空蔵菩薩像」は色調も鮮明で、比較的保存状態もよく、とても美しい。穏やかというより少しクールな表情が印象的です。

「虚空蔵菩薩像」(重要文化財)
鎌倉時代・13世紀 醍醐寺蔵(展示は11/3まで)

そして本展の目玉、日本最古の絵巻「過去現在絵因果経」(醍醐寺本・巻第三上)。釈迦の前世と現世の出来事を下段に経文、上段に絵で表した絵巻で、出家前の釈迦(悉達太子)が出家してから、菩提樹の下で悟りを開く釈迦に魔王が降伏するまでを描いています。

奈良時代の絵因果経は藝大本など観ていますが、これは一巻まるまる欠損のない唯一の完本。日本最古の絵巻どころか、敦煌請来画の「牢度叉闘聖変」と並ぶ世界最古級の絵巻であるといいます。幸いなことに私が伺った日は雨で、しかも夕方だったこともあり、ほぼ独占状態でゆっくり鑑賞できました。これが『日本国宝展』だったら、大行列で大変なことになっていたんじゃないでしょうか。

驚くのは、その色の鮮やかさと保存状態の良さ。8世紀の遺品であるにもかかわらず、色はくっきりとしていて非常に鮮明、ほとんど褪色してないことにビックリしました。絵は素朴で、人物はやや稚拙な感じもありますが、顔の表情なども丁寧に描かれています。屹立した岩山の描写や、山や紅葉(?)の色彩感も、8世紀に既にこういう描き方をされていたのかと正直驚きました。

全体がストーリーになっているので、ついつい引きこまれて見入ってしまう面白さがあって、とくに魔王が釈迦の邪魔をする場面では、魔王の手下の怪獣軍団があの手この手を繰り広げ笑えます。「鳥獣戯画」が日本最古のマンガなどと言われることがありますが、その400年も前に既にこうした楽しい絵巻があったのです。

「過去現在絵因果経」(国宝)
奈良時代・8世紀 醍醐寺蔵
(※全場面展示は10/7~13、10/28~11/3、11/18~24のみ。11/5~16は後半部分のみ展示。)

醍醐寺本は、隋もしくは初唐の大陸請来の絵巻の写本と考えられていて、宮廷の画工司の協力を得て写経所で制作されたものではないかとのこと。奈良時代の絵因果経の次に現存する絵巻で古いのは約400年もあとの「源氏物語絵巻」なので、それを考えると、非常に貴重な絵巻であることが分かると思います。

ちなみに、「過去現在絵因果経」は期間により全場面展示か半分のみ展示かがあるのでご注意ください。

山口雪渓 「楓図屏風」(一部)
江戸時代・17~18世紀 醍醐寺蔵

2階に上がると、俵屋宗達の「扇面貼付屏風」がいい。「保元物語」や「伊勢物語」などに取材した11面の扇を貼りあわせた屏風で、宗達らしい図様とたらしこみが印象的です。山口雪渓の「楓図屏風」は桜を描いた屏風と合わせ、二双の大きな屏風のようですが、本展では六曲一双の「楓図」のみ展示。狩野永納に師事していたともいわれ、京狩野に近い屏風と紹介されていましたが、長谷川派の影響を思わせるところもあります。楓の緑葉が一部褪色してるのが残念ですが、華麗な中にも瀟洒な味わいのある逸品です。

そのほか、菅原道真や空海、小野道風の書跡、信長・秀吉・家康の書状など、いろいろと興味深い遺品もありました。出品数は前後期合わせても44点と決して多くないのですが、その内11点は国宝、重要文化財も10点と見どころの多い展覧会でした。


【御法に守られし 醍醐寺展】
2014年11月24日まで
渋谷区立松涛美術館にて


醍醐寺の謎―京都の旅 (祥伝社黄金文庫)醍醐寺の謎―京都の旅 (祥伝社黄金文庫)


密教の美術―修法成就にこたえる仏たち (仏教美術を極める)密教の美術―修法成就にこたえる仏たち (仏教美術を極める)


絵因果経の研究 (美の光景)絵因果経の研究 (美の光景)

2014/11/08

白絵 -祈りと寿ぎのかたち-

神奈川県立歴史博物館で開催中の『白絵 -祈りと寿ぎのかたち-』に行ってきました。

みなとみらいにはよく行きますが、馬車道の方まで来たのはほんと久しぶり。県立歴史博物館にも初めて伺いました。建物は明治37年に横浜正金銀行本店として建てられたもので、重要文化財にも指定されているとか。横浜の歴史を感じさせる雰囲気のある建物です。

さて、本展は正直ノーマークで、“白絵”が何なのかさえも知らなかったのですが、Twitter上でたびたび評判を目にし、ちょうど文化の日が入場無料と聞き(笑)、早速拝見してきました。そしたらこれが大当たり。とても興味深い作品が多く、非常に良い企画展でした。

“白絵”と聞いて、最初は白描画のことを思い浮かべたのですが、それとは異なり、白い地に白で着色し、出産や子どもの成長、婚礼など人生の節目で使われる調度品に描いた絵画や文様を“白絵”というのだそうです。仏教で“白”は清浄な信仰心を表す色とされ、いにしえから生や死の場面である種の祈りを込めて使われたといいます。


本展は
第1章 〈白〉き誕生
第2章 〈白〉の諸相
第3章 〈白〉が紡ぐ祈り
の3つの章で構成されています。

会場に入ってすぐのところには、本展の目玉である「白絵屏風」。平安時代には白い綾織りの絹を貼った“白綾屏風”を産所に飾る風習があって、南北朝時代には吉祥文様を白紙地に描いた“白絵屏風”に代わっていったそうです。しかし、“白絵屏風”はお七夜が済むと焼いてしまう習慣があり、現存するのは僅か2例とか。本展ではその貴重な一点が展示されています。

伝・原在中 「白絵屏風」
江戸時代 京都府立総合資料館蔵

応挙の弟子、原在中と伝わる「白絵屏風」は松竹鶴亀の画題を胡粉や雲母を贅沢に使い、白の濃淡だけで描いたもので、なんとも華麗で美しい。地の茶色は色焼けで、もとは白地だったのだそうです。屈んで見上げると顔料の濃淡がよく分かります。逆に今の方が胡粉の文様が浮き出て分かりやすいかも。

聖徳太子の誕生が描かれた「聖徳太子絵伝」や神功皇后が応神天皇を出産した様子を描く「住吉の本地」、親鸞誕生に触れた「親鸞上人絵伝」などでは、白装束の産婦や介添え者、白い調度品などが描かれていて、古来より白には特別な意味が込められていたのだなと感じます。

「六道絵 人道不浄相」(国宝)
鎌倉時代 聖衆来迎寺蔵

仏教において白は清浄な信仰心を表し、生老病死の起点となっていたとのこと。「東照社縁起絵巻」(狩野探幽筆)や「聖徳太子絵伝」(根津美術館蔵)には葬列の場面で白装束の駕輿丁が柩輿を担ぐ様子描かれています。

国宝の「六道絵 人道不浄相」では野辺に捨てられた女性の遺骸は白地に銀模様の着物を身にまとい、やがて朽ちていく様子が9段で描かれています。ちなみに聖衆来迎寺の「六道絵」は15幅あり、内4幅は東京国立博物館の『日本国宝展』で展示されています(前後期で2幅ずつ)。

 「白絵松竹鶴亀図鉄漿筆箱」
江戸時代 彦根城博物館蔵

そのほか、白木に松竹鶴亀を描き、産所で使う湯水や邪除けの蒔米に使われた押桶や、災厄から子供を守るための天児(あまがつ)や這子(ほうこ)、婚礼や成長に関わる白絵の描かれた調度品など、美術という観点だけでなく、文化的・民俗的に大変貴重な品々が並びます。

県立歴史博物館は常設展もとても充実していて、仏像は複製も多かったのですが、鎌倉幕府や箱根の関所、横浜の開港など歴史的史料が盛りだくさんでなかなか楽しめました。オススメの展覧会です。


【白絵 -祈りと寿ぎのかたち-】
2014年11月16日(日)まで
神奈川県立歴史博物館にて


源氏物語の結婚 - 平安朝の婚姻制度と恋愛譚 (中公新書)源氏物語の結婚 - 平安朝の婚姻制度と恋愛譚 (中公新書)


浮世絵で読む、江戸の四季とならわし (NHK出版新書 424)浮世絵で読む、江戸の四季とならわし (NHK出版新書 424)

2014/11/01

ボストン美術館 ミレー展

三菱一号館美術館で開催中の『ボストン美術館 ミレー展』のブロガー内覧会に行ってきました。

ミレーの生誕200年を記念した展覧会で、ミレーの有数のコレクションで知られるボストン美術館から、代表作の「種をまく人」をはじめ、ボストン美術館の“3大ミレー”と呼ばれる傑作が来日しています。

ミレーは日本でも人気の高い画家ですが、実は40代になっても画家としてなかなか成功せず、最初にミレーを高く評価したのは本国フランスではなくアメリカだったのだそうです。

そうしたことからもミレーの作品はアメリカで人気があり、代表作「種をまく人」も発表後まもなくアメリカ人が購入するなど、早い時期から多くの作品がアメリカに渡っていたようです。

当日は『もっと知りたいミレー - 生涯と作品』の著者で学芸員の安井裕雄さんとアートブロガーの『弐代目・青い日記帳』のTakさんのトークを伺いながら、作品を拝見しました。


Ⅰ 巨匠ミレー序論

まずはミレーの自画像と生家の風景から。ミレーの自画像は4点あって、本作はその中で最も古いもの。パリに出て間もない頃の作品だそうです。 一番奥の絵はミレーの最初の妻ポーリーヌ・オノ。まだあどけなさの残る可愛らしい顔をした女性ですが、結婚3年目で不幸にも死別してしまいます。

[写真右から] ジャン=フランソワ・ミレー 「自画像」 1840-41年頃
ジャン=フランソワ・ミレー 「グリュシーのミレーの生家」 1854年
ジャン=フランソワ・ミレー 「J.-F.ミレー夫人」 1841年

ミレーはノルマンディ地方の裕福な農家に生まれ、美術教育を受けるためパリに出ますが、その後パリ郊外のバルビゾンに移ります。“農民画家”と呼ばれるミレーですが、実際には農民だったわけでなく、農村で育った経験や村の暮らしが彼の絵の原点にあるといいます。


Ⅱ フォンテーヌブローの森

フォンテーヌブローの森はバルビゾン村に隣接する広大な森。ここでは当時の写実主義の画家たちの制作意欲を刺激したフォンテーヌブローの森を描いた作品を紹介しています。

[写真右] カミーユ・コロー 「フォンテーヌブローの森」 1846年
[写真左] ギュスターヴ・クールベ 「森の小川」 1862年頃

ミレーのほか、コローやテオドール・ルソー、ドービニーといったバルビゾン派を代表する画家の作品が中心。特にいいのはコローで、鬱蒼とした森を描いた作品が多い中、コローの「森の小川」の青空や「ブリュノワの牧草地の思い出」の柔らかな光に包まれた情景に安らぎを感じます。

[写真右] クロード・モネ 「森のはずれの薪拾い」 1863年頃
[写真左] ジャン=フランソワ・ドービニー 「森の中の道」 1865-70年頃

『オランダ・ハーグ派展』でも拝見したドービニーが一点。厚い雲にしても森にしても写実的でこれがまたいい。モネも一点あったのですが、こちらはちょっとモネらしさがないというか、あまりパッとしません。


Ⅲ バルビゾン村

ミレーの作品を中心にバルビゾン派を象徴するような農作業や農村の風景を描いた作品を紹介。ボストン美術館の“三大ミレー”と呼ばれる「種をまく人」、「刈入れ人たちの休息(ルツとボアズ)」、「羊飼いの娘」が展示されています。

[写真右] ジャン=フランソワ・ミレー 「刈入れ人たちの休息(ルツとボアズ)」 1850-53年頃
[写真左] ジャン=フランソワ・ミレー 「種をまく人」 1850年

30年ぶりの来日という「種をまく人」は目深に被った帽子の影で農夫の表情はよく分かりませんが、無心に種を蒔いている姿が印象的。実物を観るまでは服がダボダボなのかと思いきや、実は筋骨隆々であったこと、また蒔いているのは小麦説以外にソバ説があることも知りました。

「刈入れ人たちの休息(ルツとボアズ)」は旧約聖書の「ルツ記」から取られていて、農民の群像を描いているにのに、どちらかというと歴史画を彷彿とさせます。この絵を描くのにミレーは50枚のデッサンを描いたとか。こうした取り組みもあって、サロン(官展)で初めて受賞を果たします。

[写真右] ジャン=フランソワ・ミレー 「馬鈴薯植え」 1861年頃
[写真左]ジャン=フランソワ・ミレー 「羊飼いの娘」 1870-73年頃

60年代に入ると、ミレーの絵には奥行きが出てきて、たとえば描く対象の人物の背景や風景といった空間表現にも関心を持つようになったといいます。 それは生活の変化やバルビゾン派の影響もあったという話でした。

「羊飼いの娘」は一見印象派を思わせるような作品。解説者の安井さん曰く「明るい色を積み重ねる印象派に対し、ミレーは濁った色の積み重ねで光を感じさせる」とのこと。画材不足のため過去にサロンに出品し不評だった作品を塗りつぶし、本作を描いたのだとか。


Ⅳ 家庭の情景

40年代終わりから家庭の慎ましい暮らしやバルビゾンの村の生活を描いた作品が登場します。それは再婚と子どもの誕生、またバルビゾンへの移住などで生活に大きな変化が現れたのが大きいようです。

[写真右] ジャン=フランソワ・ミレー 「編物のお稽古」 1860年頃
[写真左] ジャン=フランソワ・ミレー 「編物のお稽古」 1854年頃

母親が娘に編物を教えている姿を描いた同主題の作品ですが、よく見ると、左の女の子より右の女の子の方が少し年長で、手にしているかぎ針も左の子は2本なのに対し、右の子は3本持っていたりします。母娘はミレーの妻と娘がモデルといわれ、構図はオランダ絵画の影響を受けているといわれます。

[写真左から] ジャン=フランソワ・ミレー 「糸紡ぎ、立像」 1850-55年頃
ジャン=フランソワ・ミレー 「バターをかき回す若い女」 1848-51年頃

ミレーは似た主題を繰り返し描いていて、たとえば「種をまく人」もほぼ同様の構図の作品が山梨県立美術館にあったりします(実際には5点あるという話もあります)。本展でも編物を主題にした作品が複数あったり、『オランダ・ハーグ派展』で観た「バター作りの女」とほぼ同じテーマの作品があったりしました。 

[写真右] ジャン=フランソワ・ミレー 「ミルク缶に水を注ぐ農婦」 1859年
(三菱一号館美術館寄託)
[写真左] 黒田清輝 「摘草」 1891年(三菱一号館美術館寄託)

途中、≪ミレー、日本とルドン≫というコーナーがあり、日本人画家がミレーの影響のもと描いたとされる作品が展示されています。 黒田清輝の「摘草」は、画面奥の積み藁がミレーぽいということですが、作品自体はあくまでも外光派の明るい雰囲気で、ミレーの色彩感とは異なります。ただ、黒田はフランス留学中にミレー作品の模写をしたり、バルビゾン村を訪れたりしていたということなので、ミレーを意識していたのかもしれません。

[写真左] ヨーゼフ・イスラエルス 「別離の前日」 1862年
[写真右] ヨーゼフ・イスラエルス 「病み上がりの母と子ども」 1871年頃

コーナーの最後には『オランダ・ハーグ派展』でも感銘を受けたイスラエルスの作品が2点。『オランダ・ハーグ派展』でイスラエルスは第2のレンブラントとも呼ばれるという解説を読み、その時はあまりピンときませんでしたが、この2点は正に第2のレンブラントともいうべき光と影で納得します。本展の解説では、イスラエルスはミレーの影響を受けているともありました。


Ⅴ ミレーの遺産

ここでは晩年のミレー作品と、ミレーやバルビゾン派の画家の影響を受けた次世代の作品を紹介。特に良かったのは、ミレーやルソーに影響を受け、牧場の動物や人物を印象派のような明るい色彩で描いたというジュリアン・デュプレで、バルビゾン派の暗く貧しい風景も、なんだか健康的で陽気なものに見えてきます。

[写真左から] ジュリアン・デュプレ 「ガチョウに餌をやる子どもたち」 1881年
ジュリアン・デュプレ 「牛に水を飲ませる娘」 1880年代
ジュリアン・デュプレ 「干し草づくり」 1892年

最後は晩年のミレー作品。何度も描いてきた「編物のお稽古」は未完成の作品ということですが、印象派の出現を予感させるような、これまで作品とは違う光の表現が印象的。「ソバの収穫、夏」も夏の陽光の明るさや背景の広がりなどディデールまで丁寧に描き込まれています。そもそも労働の姿から悲壮感はなく、収穫の喜びが伝わって来るようです。

[写真右] ジャン=フランソワ・ミレー 「ソバの収穫、夏」 1868-74年
[写真左] ジャン=フランソワ・ミレー 「編物のお稽古」 1874年

ミレーの作品は25点と決して多くありませんが、バルビゾン派やハーグ派の画家の作品などボストン美術館の選りすぐりの作品が揃っています。このあたりの作品がお好きな方にはオススメの展覧会です。


※展示会場内の画像は特別に主催者の許可を得て撮影したものです。


【ボストン美術館 ミレー展 傑作の数々と画家の真実】
会場: 三菱一号館美術館
会期: 2014年10月17日(金)~2015年1月12日(月・祝)
年末年始休館: 12月27日(土)~2015年1月1日(木・祝)
開館時間: 10時~18時(金曜(祝日と1月2日を除く)は20時まで)※入館は閉館の30分前まで
休館日: 月曜休館(但し、祝日・振休の場合は開館。1月5日は18:00まで開館。)


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