2015/07/16

NO MUSEUM, NO LIFE? これからの美術館事典

東京国立近代美術館で開催中の『NO MUSEUM, NO LIFE? -これからの美術館事典』を観てまいりました。

東近美と京都国立近代美術館、国立西洋美術館、国立国際美術館、国立新美術館の国立美術館5館による合同企画展。各館から約170点の所蔵作品を集め、AからZまで36のキーワードで構成されています。

国立美術館の所蔵作品が集まるというので、どんなすごい展覧会なのかと思ったら、どちらかというとポイントは美術館の裏側を見る・知るといった方で、作品はあくまでも参考という感じ。でも切り口が面白く、解説もなかなか読ませます。

過去に三井記念美術館で『日本美術デザイン大辞展』というのがありましたが、ああいったものでもなく、東近美のリニューアル・オープンのときの『美術にぶるっ!』みたいな感じでもなく、美術館とはどんなことをしてるのか、作品を見せるためにどんなことが行われているのか、日本の美術館の現実はどうなのか、などを実例をもって見せてくれます。

[写真左から] マルセル・デュシャン 「ヴァリーズ(トランクの中の箱)」
1935-41/55-68年 京都国立近代美術館蔵

[写真左] アンリ・ルソー 「第22回アンデパンダン展に参加するよう芸術家達を導く自由の女神」
1905-06年 東京国立近代美術館蔵
[写真右] 藤田嗣治 「自画像」 1929年 東京国立近代美術館蔵

たとえば、《Archive 【アーカイヴ】》であれば、デュシャンやフルクサスの作品を例に取り、作家たちのアーカイヴと美術館としてのアーカイヴを説明したり、《Artist 【アーティスト】》であれば、ゴヤや森村泰昌を例に挙げ、芸術家とは何かを論じてみたりしています。展示されてる作品もアート作品もあれば、美術館で使われている道具や設備もあって、まさしく観る事典。

スン・ユエン&ポン・ユー 「I am here」
2007年 国立国際美術館蔵

《Beholder 【観者】》で展示されていたのが、ルーヴル美術館でジェリコーの「メデュース号の筏」を観る人々を写したトーマス・シュトゥルートの写真で、それをまた観るわたしたち。美術館に訪れる人は作品を観に行くわけですが、美術館やアーティストの側からすれば、「見る/観る、注視する人」がいなければそれは成立しないわけで、わたしたち観者も必要不可欠な存在だったりします。アラブ人風の男が覗く壁の反対側にはちゃんと小さな覗き穴があったりと芸が細かいのもツボ。


資料的要素もあって、カタログに求められるものを考えたり、国立美術館各館のコレクション数や年度収入を比較してみたり、保存修復について説明してくれたり、美術館・美術展に興味を持つ人には重要な情報を与えてくれます。


本展の準備のための資料なんかも公開されていて、将来キュレーターになりたいとか、アート関係の仕事に就きたいといった人には、とても勉強になるんじゃないでしょうか。

美術館は単に美術品を管理し、作品を見せるということだけでなく、教育普及も重要な仕事の一つで、そうしたことにもちゃんと触れられていたりします。でも展示されているのが、オノレ・ドーミエの風刺画だったり、ただひたすら植物にアルファベットを教えるというジョン・バルデッサリの映像作品だったり、かなりシュール(笑)

池田遙邨 「大正12年9月関東大震災」
1923年 京都国立近代美術館蔵

阪神・淡路大震災や東日本大震災では、多くの美術館・博物館にも甚大な被害をもたらし、あらためて作品や文化財の保管方法や、破損した場合の救出や修復、また建物の免震・耐震を含めた危機管理を考えさせられました。関東大震災や阪神・淡路大震災の被害を伝える絵や写真、阪神・淡路大震災や東日本大震災で被災した美術品や文化財の救援の活動報告書、また免震台といった作品を守るものに至るまでさまざまなものが展示されています。


京都や大阪まで行かないと観られないような作品や、こうした企画でないと隣り合わせで展示されないような作品もあり、興味深い展示が多くあります。大きな額の中に小さな額が収まり、一番小さな額の中からは壁の向こうが額の中の絵のように見えるという、遊び心もあったりします。

フランシス・ベーコン 「スフィンクス―ミュリエル・ベルチャーの肖像」
1979年 東京国立近代美術館蔵

何気なくフランシス・ベーコンが飾られてありますが、実は手前の保護柵がポイント。写真には写ってませんが、隣にいる監視員も作品の一部だったりするわけです。

[写真右] ピエール=オーギュスト・ルノワール 「木かげ」
1880年頃 国立西洋美術館松方コレクション蔵

《Light 【光/照明】》では、ルノワールの作品のとなりの壁をハロゲン光の照明が照らしています。印象派の陽光と現代の光源。こうした意表を突くアイディアも本展の面白いところ。


《Naked/Nude 【裸体/ヌード】》には、萬鉄五郎や安井曽太郎、甲斐庄楠音、小倉遊亀から、クールベやピカソ、デュビュッフェまで東西の裸婦画が壁一面に展示されています。海外の美術館などではこうした展示の仕方はありますが、日本ではあまり見ないのでなかなか新鮮です。新海竹太郎のブロンズもあれば、棚田康司の木像が同じ空間にあるというのも面白い。

[写真左から] マルセル・デュシャン 「自転車の車輪」「瓶乾燥器」「泉」「帽子掛け」
京都国立近代美術館蔵

芸術作品はオリジナルでなければならないのか? デュシャンの“レディメイド”やウォーホルの複製画像を使った作品など、芸術においてオリジナルとは何なのかを考えさせるテーマにもしっかり言及しています。「泉」にはちゃんとデュシャンのサインも。

[写真左] 梅原龍三郎 「ナルシス」 1913年 東京国立近代美術館蔵
[写真右] ピエール=オーギュスト・ルノワール 「横たわる浴女」 1906年 国立西洋美術館

《Provenance 【来歴】》では梅原龍三郎の絵と並んで、梅原の旧蔵品で、国立西洋美術館等に寄贈された作品が集められています。ルノワールの絵や紀元前のキュクラデス彫刻や壺など、今は別々の美術館に納められていますが、こうして見ると梅原龍三郎の作品に通じるものを感じますし、また梅原が所蔵していたという付加的な価値に気付きます。

藤田嗣治 「横たわる裸婦 (夢)」 1925年 国立国際美術館蔵

藤田嗣治 「パリ風景」 1918年 東京国立近代美術館蔵

藤田嗣治 「裸婦」 1926年 国立西洋美術館松方コレクション蔵

藤田嗣治 「タピスリーの裸婦」 1923年 京都国立近代美術館蔵

《Storage 【収蔵庫】》では、各美術館の収蔵庫が再現されていて、実際の写真の中にそれぞれ藤田嗣治の作品だけは本物を飾っていたりします。こういう見せ方も面白いですね。

会場の最後には、本展に作品を搬入するのに実際に使った輸送用クレートが“展示”されています。会場の途中に、運び込まれた作品を展示するまでを記録した映像が流れていて、私たちは当たり前のように思っているけど、こうした裏側の作業があって、ゆっくりと作品を観ることができるのだなということを実感します。


本展は、美術館が好きな人、美術展が好きな人には興味の尽きない展覧会じゃないでしょうか。さまざまな切り口、いろんな工夫のある展示が何より楽しい。美術館とは何かをいろいろと考える機会になりました。

※本展は、いくつかの条件を守れば、一部の作品を除き、写真撮影が可能です。


【NO MUSEUM, NO LIFE? -これからの美術館事典 国立美術館コレクションによる展覧会】
2015年9月13日(日)まで
東京国立近代美術館にて


美術館で働くということ 東京都現代美術館 学芸員ひみつ日記美術館で働くということ 東京都現代美術館 学芸員ひみつ日記

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