2015/09/21

白鳳 -花ひらく仏教美術-

奈良国立博物館で開催中の『白鳳 -花ひらく仏教美術-』を観てきました。

すこぶる評判のいい『白鳳展』。 東京からわざわざ観に行く人も多く、みなさんから行った方がいい、行かないと後悔するといろいろお話を聞いていて、でもなかなか奈良まで行く時間も取れずちょっと指をくわえて我慢していたのですが、ちょうどいいタイミングで関西出張が入り、一泊して『白鳳展』を堪能してまいりました。

白鳳は7世紀半ばから平城京に遷都する710年までの間、ちょうど飛鳥文化と天平文化に挟まれた美術史的な時代区分。645年の乙巳の変(大化の改新のはじまり)からとする説と、670年の法隆寺若草伽藍(旧伽藍)の焼亡後とする説があるそうですが、本展では後者をとっています。ということは、わずか40年ぐらいの短い間のことになるのですね。

大化の改新により天皇を中心とした国作りが本格化した時代。海の向こうでは百済が滅亡し、白村江の戦いで倭国は大敗。日本にも警戒感が拡がり、難波や近江、飛鳥とたびたび都を遷すという、まだまだ激動の時代でもあったようです。そんな時代の仏教美術がどのようなものだったのか、当時の人々の仏教に対する思いが伝わってくるような展覧会になっています。

本展の会場の構成は以下の通りです:
プロローグ 白鳳とは
第1章 白鳳の幕開け
第2章 山田寺の創建
第3章 金銅仏の諸相 Ⅰ
第4章 薬師寺の創建
第5章 金銅仏の諸相 Ⅱ
第6章 法隆寺の白鳳
第7章 法隆寺金堂壁画と大型多尊塼仏
第8章 白鳳の工芸
第9章 押出仏・塑像と塼仏
第10章 藤原京の造営
エピローグ 古墳の終焉

「弥勒菩薩半跏像」(重要文化財)
白鳳時代 天智天皇5年(666年) 野中寺蔵

『白鳳展』の何が素晴らしいかって、やはり白鳳仏を代表する名品が揃ってるのと、奈良時代以降の仏像からは消えるインドや大陸の名残りを感じさせつつ和様化していく過渡期の仏像のもつ清新さや純粋さだと思うのです。

この頃は仏像の種類も多様化してなく、天部像も一部展示されてましたが、忿怒の形相で圧するという仏像は一般的でありませんし、何よりまだ寺院に利権争いや腐敗、突出した勢力もなく、仏教という新しい宗教に救いを求めようとする人々の純粋な気持ちが白鳳仏の一つ一つに現れているようで、そこに心打たれるというか、感動的なのです。

「阿弥陀三尊像」(重要文化財)
白鳳時代(7世紀) 東京国立博物館蔵(法隆寺献納宝物)

遣随使や遣唐使、百済からの亡命者などを通じて、さまざまなタイプの仏像が日本に入って来ていて、それらが白鳳仏のイメージソースとなっていたようです。朝鮮半島の影響が強かった飛鳥文化に比べて、白鳳文化は隋・唐からの中国文化の影響も色濃く、中国や朝鮮風の仏像もあれば、インド的な顔立ちの仏像あり、プリミティブな印象のものもあれば、天平仏の先駆的なものもあり、一括りにできないのが白鳳仏の面白さでもあります。それは着衣や装身具を見ても明らかで、玄奘三蔵がインドから帰国し中国でインドブームが起これば、日本にも最新流行として伝わってインド風のドーティやターバンのようなものを身につけた仏像が造られたり、仏像がまだ完全に日本化してないのが分かります。

主流は金銅仏ですが、写実や造形もまだまだ不完全で、飛鳥時代の仏像のように細身のものもあれば、頭部が大きくアンバランスなプロポーションのものもあるし、童形のものもあったりします。一様に言えるのは、どれも若々しいこと。奈良時代の仏像のような成熟さはないけれど、青年のようなみずみずしさ、清々しさに溢れ、そこに魅力を感じます。

「釈迦如来倚像」(重要文化財)
白鳳時代(7世紀) 深大寺蔵

南滋賀廃寺や穴太廃寺、大官大寺、大安寺といった古代寺院跡からの出土品も多く展示されていましたが、その中でスポットをあてられていたのが山田寺。蘇我入鹿の従兄弟の蘇我倉山田石川麻呂が発願という寺院で、白鳳仏の傑作として知られる興福寺の「仏頭」はもとはここ山田寺講堂本尊(金堂本尊との説もあり)の薬師如来像なのです。

関東を代表する白鳳仏・深大寺の「釈迦如来倚像」も展示されていました。興福寺の「仏頭」にも似た大きく弧を描く眉と真っ直ぐに伸びた鼻筋、切れ長の細い目という白鳳仏の特徴が見られ、少年のような顔立ちと流れるような衣文も美しい。椅子に坐った「倚像」というスタイルは白鳳時代の特徴の一つとか。並んで展示されていた千葉・龍角寺の「薬師如来坐像」や新薬師寺の「薬師如来立像(香薬師)」(原像は盗難に遭い行方不明のため模造を展示)との共通点も指摘されています。

「月光菩薩立像」(国宝)
白鳳~奈良時代(7~8世紀) 薬師寺蔵

「聖観世音菩薩立像」(国宝)
白鳳~奈良時代(7~8世紀) 薬師寺蔵

藤原京で大官大寺とともに国家の主要寺院だったのが薬師寺。平城京遷都とともに現在の場所に移転しますが、東塔は創建時の姿を今に伝えるといいます。薬師寺からは金堂本尊薬師三尊像の右脇侍の「月光菩薩立像」と東院堂本尊の「聖観世音菩薩立像」が出品。ともに東博の『薬師寺展』にも来ていましたが、「日光菩薩立像」の方は本展には出品されていません。やはり「月光菩薩立像」の美しさは格別で、バランスの取れた理想的なプロポーション、写実的な優美さはほかの白鳳仏とは一線を画します。制作年は白鳳説と天平説に分かれるそうですが、本展では本薬師寺から移坐されたことも否定できないと紹介しています。

薬師寺東塔が現在解体修理ということもあり、取り外された塔の相輪の最上部の「水煙」も展示されています。舞い降りるような飛天や横笛を吹く飛天などが形どられていて、大変手の込んだものであることが分かります。修理が終わったらまた塔の上に戻されてしまうわけですから、この機会を逃す手はありません。

「観音菩薩立像(夢違観音)」(国宝)
白鳳時代(7~8世紀) 法隆寺蔵

「阿弥陀三尊像(伝橘夫人念持仏)」(国宝)
白鳳時代(7~8世紀) 法隆寺蔵

法隆寺というと飛鳥文化を代表する建築・美術という印象がありますが、西院伽藍再建後に制作されたものも多く、白鳳時代の金銅仏や美術品の宝庫でもあるのだそうです。法隆寺の白鳳仏を代表する「夢違観音」や「伝橘夫人念持仏」といった傑作をはじめ、多くの金銅仏や貴重な文化財が並んでいます。

「伝橘夫人念持仏」は厨子と別々に展示されているのも見どころ。阿弥陀三尊もさることながら、後屏や蓮池の金工の精巧さ、完成度の高さには驚きます。また、この時代に制作されたという金堂壁画の模写や天蓋の付属品、東博・法隆寺宝物館でお馴染みの「金銅灌頂幡」などもあり、ちょっとした“法隆寺展”です。

「持国天立像」(重要文化財)
白鳳時代(7世紀) 當麻寺蔵

個人的に興味深かったのが押出仏や塼仏。もとは中国から伝わった技法で、日本では白鳳時代から天平時代にかけて造られたといいます。型にのせた銅板を打ち出して作ったのが押出仏。粘土で型を抜き焼成したのが塼仏。ともに薄く、レリーフのような形状をしています。中でも押出仏や鋳造浮彫り、線刻といった技法を駆使した長谷寺の「銅板法華説相図」の素晴らしさは目を見張るものがあります。塼仏はお堂の壁面を飾ったともいい、展示品の多くが出土品だったことを考えると、現存するものも極めて少ないのでしょうね。

展覧会の最後には藤原京と高松塚古墳からの出土品が展示されています。高松塚古墳も白鳳時代と重なるんですね。「墓のサイズや形で力を示した時代が終わり、…祖霊や故人の魂の救済を仏教が担う時代が始まった」と解説されていて、なるほどなと納得しました。

「銅板法華説相図」(国宝)
白鳳時代(7~8世紀) 長谷寺蔵

シルバーウィークの初日ということで開館前には長蛇の列ができていましたが、ほとんどみなさんチケットを購入される方で、チケットや国立博物館のパスポートを持っている人は並ばずに入館。おかげで混み合う前にじっくり拝見させてもらいましたが、それでも2時間近くかかりました。

『白鳳展』のあとはお隣の興福寺へ。『白鳳展』でも限定公開されていた「仏頭」や白鳳期の月光・日光菩薩にも出会えて、さらに充実の白鳳体験ができました。


【開館120年記念特別展 白鳳 -花ひらく仏教美術-】
2015年9月23日(水・祝)まで
奈良国立博物館にて


仏像のかたちと心――白鳳から天平へ仏像のかたちと心――白鳳から天平へ


聚美 vol.16(2015 SUM 特集:白鳳時代の美術聚美 vol.16(2015 SUM 特集:白鳳時代の美術

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