2017/07/22

吉田博展

損保ジャパン日本興亜美術館で開催中の『吉田博展』を観てまいりました。

昨年、千葉市美術館で開催され、話題になった展覧会。郡山や久留米などを巡回しての最後の開催が東京になります。千葉に行かなかったので一年越しでようやく拝見することができました。

去年はちょうど同じ時期に、吉田博と対立した黒田清輝の展覧会も重なり、そうした話題性があったのは確かですが、昨今の明治期の洋画を見直す機運の中、半ば忘れられていた吉田博の再評価されるきっかけになったのも事実でしょう。

混み合いそうな休日の昼間は避け、土曜日の16時に入ったのですが、この時間でも結構人が入っていて、吉田博の人気の高さに驚きました(混雑というレベルではありませんでしたが)。木版画の評価が高い人ですが、水彩や油彩の技術も大変優れていたこともよく分かりました。さすが黒田清輝に楯突いただけのことはあります。


会場の構成は以下のとおりです:
第一章 不同舎の時代:1894-1899
第二章 外遊の時代:1900-1906
第三章 画壇の頂へ:1907-1920
第四章 木版画という新世界:1921-1929
第五章 新たな画題を求めて:1930-1937
第六章 戦中と戦後:1938-1950

吉田博 「冬木立」
明治27-32年 横浜美術館蔵

小学生の頃のスケッチがあって、小学生にしては上手だし、10代後半の水彩画もその写実性といい、色の感じといい、明治20年代で、しかも10代でここまでの作品が描けるのかと驚きます。会場の解説によると、明治中期は海外からの水彩画家の来日もあり、水彩画ブームが起きていたのだとか。確かに明治期の洋画では水彩画をよく見かけますが、吉田の20歳前後の作品なんか観ても、当時の水彩画のレベルの高さがよく分かります。

吉田博 「雲叡深秋」
明治31年 福岡市美術館蔵

明治期は水彩の方が作品としては多いようですが、油彩もちらほらあって、こちらもとても巧い。後年の作品に比べればまだ少し硬かったり、奥行き感に乏しかったり、描き過ぎている感じがあったりしますが、十分に写実的だし、吉田ならではの構図の巧さや迫真性が光ります。水彩にしても油彩にしても、朝靄だったり、霧だったり、夕暮れだったり、大気や時間を感じる作品が多く、これは後の吉田の木版画でも特徴的に表れています。

吉田博 「チューリンガムの黄昏」
明治38年 福岡市美術館蔵

吉田は何度か渡米しては展覧会で絵を売って、そのお金でアメリカやヨーロッパに遊学してるのですが、各地を取材して風景を描くだけでなく、ベラスケスやレンブラントを模写したり、最新の西洋画を吸収することにも余念がなかったようです。明治後期の油彩画「チューリンガムの黄昏」や「昼寝-ハンモック」などはホイッスラーを彷彿とさせるような平板で暗い色調が印象的。「瀧」や「街道の春」はどことなくセザンヌぽさも感じます。山岳風景の壁画連作「槍ヶ岳と東鎌尾根」 や「野営」はホドラーを思わせ興味深い。

吉田博 「ヴェニスの運河」
明治39年 個人蔵

「ヴェニスの運河」は夏目漱石の『三四郎』にも登場する作品。美術に造詣の深かった漱石も吉田博の作品には注目していたということでしょう。構図的にも表現的にもオーソドックスでありますが、明治期の主流だった黒田清輝率いる白馬会系のアカデミズムな洋画とは違う感じがします。吉田が渡米したのは黒田がフランスから帰国して6年後ぐらいのなのですが、やはり急激な変化を遂げた19世紀末の欧米の美術動向を考えると、目にしたもの吸収したものは全然違うでしょうし、吉田の渡米後の作品を観ていると、黒田の作品は一時代古いものに映ります。

吉田博 「穂高山」
大正期 個人蔵

明治時代はスポーツや趣味としての登山は一般的でありませんでしたが、吉田は全国の山々を歩いては作品を描いています。やはり登山家の憧れ、日本アルプスには強く心惹かれたのか作品も多く、次男の名前も「穂高」としたほどとか(長男にも山の名前を付けようとしたが反対されたといいます)。山を描いた吉田の作品は山を登る人ならではの視点があり、その雄大な景色だけでなく、山を登った人だけが味わえる感動のようなものが伝わってきます。

吉田博 「日本アルプス十二題 劔山の朝」
大正15年 個人蔵

関東大震災後、資金集めのために渡米したアメリカで目にしたものは幕末の浮世絵がいまだ持て囃されている現実。当時日本で人気だった川瀬巴水や伊東深水の新版画にも物足らなさを感じていた吉田は自ら木版画の制作にも手を染めるようになります。吉田の木版画には“自摺”を記されたものがあって、これは彫師や摺師は別にいるわけですが、画家自身が厳しく監修をした証のようなものなのだそうです。“絵の鬼”と呼ばれただけあり、木版画制作も他人任せにせず、その仕上がりには強いこだわりを持っていたのでしょう。

吉田博 「瀬戸内海集 帆船 朝」「帆船 午後」
大正15年 個人蔵

やはり木版画の味わいは格別。巴水と違うと感じるのは吉田の出発が洋画だからでしょうか。吉田博の木版画の特徴は、水彩画と見紛うような繊細で精緻な描写と、色の加減が複雑に表現された見事なグラデーション。同じ版木で朝、昼、夕方といったように色を変えて別摺したシリーズもいくつかあって、光や大気の変化にこだわりを持っていたことも感じます。木版画ではあまり見ない大判の作品も多く、実際に技術的にも制作が非常に難しかった作品もあったようです。

吉田博 「フワテプールシクリ インドと東南アジア」
昭和6年 個人蔵

木版でここまで微細な表現ができるの?と思うような作品もあって、木版画の概念が覆ります。特にインドに取材した作品に精緻な描写が多く、「フワテプールシクリ インドと東南アジア」のアラベスク模様の極めて精緻な文様や床に反射する光の表現には驚愕しました。どれだけ手がかかってるのか。

吉田博 「空中戦闘」
昭和16年 個人蔵

木版画に没頭するようになってから十数年、まだまだこれからという時期に不幸にも戦争が始まります。ご多分に漏れず吉田も従軍画家として中国に赴き、戦争画を描いています。「空中戦闘」は中国軍との空中戦を描いた作品、「急降下襲撃」は戦闘機からの視点で爆撃の様子を描いた作品。ともに戦闘機に搭乗した経験がないと描けないような構図で、現場主義の吉田ならではの作品という気がします。そばには似た構図の写真やスケッチがあって、実際に見た光景をもとにフィクションとして描いていることが分かります。

吉田博 「初秋」
昭和22年 個人蔵

吉田の作品はアメリカで人気が高かったということもあり、戦後米軍関係者がこぞって吉田のもとを訪れたといいます。自宅でアメリカ人と歓談する写真が展示されていましたが、どこかで観たことあるなと思ったら、川瀬巴水にも戦後外国人が作品を買い求めに来たというエピソードがあったのを思い出しました。日本の新版画は技術の高さだけでなく、その美しい風景や詩情性も人気が高かったのでしょうね。

会場入口で『痛快!吉田博伝』という13分ほどの紹介映像が流れています。ここで予習してから作品を観てまわるといいと思いますよ。


【生誕140年 吉田博展 山と水の風景】
東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館にて
2017年8月27日(日)まで


吉田博 全木版画集吉田博 全木版画集

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